コロナ禍の中、何もかも前例のない形で行われた東京五輪が幕を下ろしました。多くの選手達の活躍やコメントが心に残りましたが、気になったのが「アスリートのメンタルヘルス」。米国の競泳女子のメダリストは自身のツイッターに「負けた直後にインタビューをするのはやめてほしい」という内容を投稿し、ニュースになりました。
これを聞いて、私自身「ああ、本当にそうだな」と気付かされました。勝った人に色々と聞くのはともかく、負けた人はただでさえ悔しく精神的にも感情的にも疲弊している中に、あれこれと聞かれ、それが報じられてしまう。感情的になってしまったけれど、もし翌日なら冷静に話せたかもしれないのに、ということだってあるはず。それが「一生に一度のコメント」になるのならなおの事。
今開催中の夏の甲子園だって、試合後のインタビューって実は勝者と敗者がすごく近い場所でしているのを知って驚きました。お立ち台に乗るから対戦相手の顔も見えるし、声も聞こえてくる。もし自分が負けた側だったら。それで人生が変わってしまう人もいるでしょう。スペースの問題もあるとは思いますが、どうにか出来ないものなのでしょうか。
昔ならそれでも良かったのかもしれません。インタビュアーが悔し涙で言葉にならない選手から「どんな大会でしたか」「△年後に向けては」など、さまざまな角度から質問し、思いを聞き出していく。いかに選手の本音を引き出すかがインタビュアーの腕の見せ所でしたし、お茶の間のテレビで見ている人たちも泣いたり、笑ったりそれを一緒に共有していました。
でもSNSで選手が自分の思いを発信できるようになった今は、そういう時代ではなくなったのです。
私もインタビューのお仕事をすることがあるのでインタビュアーの気持ちも理解できる部分はあります。時間も限られる中、ある程度「聞く側」に「引き出したい言葉」や「ストーリー」があって、それに合わせて選手のコメントが作り上げられていく側面が、どうしてもあるんですよね。昔なら素直に感動できたかもしれませんが、今だとその「仕立てられた物語」に違和感や気持ち悪さがぬぐえない人も少なくないのではないでしょうか。
他にも、視聴者の印象に残るようなトレンドワードや、より深く人となりを掘り下げるため就職先や出身校、育った家庭環境といったプライベートなことまで触れるインタビューや実況、解説もあります。でも、今の時代の視聴者は、それよりも競技やプレー自体のことを的確に伝えてほしいのではないのでしょうか。
もちろん、選手がどう思っているかもありますし、その最たるものが「メンタルヘルス」でしょう。と思うと、時代とともにインタビューのあり方も変化を求められているのでしょうし、私自身もそういう仕事をしている一人として変わっていかなければ、と思うのです。