100年超の歴史持つ京都の行列店しばしお別れ つけ麺で繁盛も店主疲労「必ず復活する」

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 厳選した魚介類を生かしたすしやつけ麺で知られる京都府南丹市園部町上本町の「割鮮 うを亀本店」が7月、現在地での33年の営業に終止符を打った。初代から数えると、園部で100年超の歴史を刻み、いつも行列ができる店となった。「そうなりたいと夢見ていたのが具現化した」。店主は万感を言葉に込める。

 4代目の滝村尚史さん(58)によると、魚の行商をした初代亀太郎さんが「魚屋の亀さん」と呼ばれたのが店名の由来という。3代目の父・栄市さん(故人)は仕出しを手掛け、滝村さんは「仕出しではお客さんの喜ぶ顔が見えづらい」と、海産物を使った料理を出すカフェバー「ビスク」を1988年に現在地に構えた。

 歴史を継ごうと2004年に現在の名称に変更。飲酒運転の厳罰化が進む中、「タクシーで帰るのに見合う店に」と考え、高級路線にかじを切った。一流品が集う京都市の市場で買い付けた海産物を使い、地歩を築いた。

 高級魚を余さず生かしたメニューをと、店を切り盛りする長女奥田瑶子さん(28)と一緒に考案したのがつけ麺。金目鯛やハモなどから取ったスープで味わう逸品で、昨年には食通によるグルメアワードで三つ星に輝く人気の品に育った。

 「1人でも2人でも猛烈なファンを」という思いで包丁を振るい、昼は連日、順番待ちができるようになった。「満面の笑みで『ありがとう』と言われる喜びは何物にも代えがたい」と語る。

 終了は5月に決めた。疲れやすくなり、40席の規模を負担に感じるようになった。瑶子さんの出産も控えるため、区切りを付けようと決めた。滝村さんは「もう一踏ん張りして、育ててくれた場所から卒業したい」と笑顔を見せる。

 ただ、完全終了ではない。飲食店の決して多くない園部のまちで店を続けてきた責任と自負もある。規模を縮小し、近くで再出発する考えだ。先代が時流を捉えて歴史を紡いだように、新型コロナウイルスがまん延する時代に即した通信販売も検討する。滝村さんは確約する。「必ず復活する」

 夜は既に満席。昼は午前11時半~午後3時(注文は午後2時半まで)。

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