織田信長に仕え、謀反を図り「本能寺の変」を起こした明智光秀を描いたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。いよいよ物語も佳境を迎え、徐々に信長と光秀との間の溝が元に戻らぬほどに深まった様子がうかがえる。一方、光秀の娘・たま(演:芦田愛菜)が細川家に嫁いだ。この「玉」は、のちに明智光秀の娘として壮絶な人生を送ったとされている。彼女の姿が大阪市の玉造で見ることができるのを、ご存知だろうか。
場所は、カトリック玉造教会。建物向かって右手にある女性の石像。これが明智玉=細川ガラシャだ。
ここは、細川家に嫁いだ玉が暮らした屋敷跡であるそう。教会内には、京都府出身の美術家・堂本印象による壁画がある。向かって右には、『最后の日のガラシャ夫人』。中心には堂々と『栄光の聖母マリア』が掲げられていて、右側に玉=ガラシャが描かれている。
玉は、15歳で細川家に嫁いだ。夫である忠興の父は、光秀の盟友かつ同じ信長の家臣だった。政略結婚だが、夫婦仲は良かったようだ。しかし結婚から4年後、光秀が信長に反旗を翻し「本能寺の変」が発生。信長の死後すぐに、光秀は豊臣秀吉に敗れてしまう。
玉は、「謀反人の娘」。豊臣方の人間である忠興とは離婚した。しかし忠興の愛情は冷めることはなく、世間の目から逃すために京都の山奥に幽閉した。2年後、秀吉の計らいで玉は大坂に戻ることができ、細川屋敷で暮らし始めた。その場所がこの玉造だ。夫が仕える秀吉が建てた大坂城の近くにある。
教会から北に向かうと、「細川越中守忠興屋敷跡」がある。この地には屋敷内の台所と伝えられている「越中井」がある。
さて、別名「ガラシャ」とは何かと思われた方もいるだろうか。彼女はキリシタンなのである。洗礼後に授かった名前が「ガラシャ」なのだ。玉は元より禅宗を信仰していたが、味土野から大坂に戻った3年後に改宗した。秀吉が宣教師の追放令を出した直後のこと。
当時のキリスト教の広まりや、キリシタンだった侍女からの影響など、さまざまな理由は考えられる。しかし当時の玉の状況を考えると、幽閉からの解放後の憂鬱、反逆した父への思い、変化していく忠興との関係性……その日々がいかに壮絶だったのか、想像に難くない。玉はキリスト教に出会うことで、心に落ち着きを取り戻し始めたといわれている。また気性の激しい性格から穏やかになったとも。
その後、徳川方につくようになった忠興は、上杉征伐に出陣。敵方の石田三成がガラシャを人質にしようとしたが、彼女はそれを拒否し、自死を選ぶ。しかし「キリスト教では自死は許されない」ことから、家老に刀で胸を突かせ、この世を去った。
なお、カトリック玉造教会がこの地に建てられた理由は、「細川屋敷があったから」ではないそう。直接的な所以がないならば、この場所に決めた者の「引き」の強さに驚く。もうすぐで大河ドラマ『麒麟がくる』はクライマックスを迎える。どのような結末を迎えるのか、見届けたい。
▽カトリック玉造教会内の壁画の下絵は、 京都府立堂本印象美術館に所蔵されている。堂本印象美術館は、画家の堂本印象自らが設立。 日本画のみならず彫刻や陶芸など、 堂本印象の世界観が堪能できる。 順次日本の近現代美術に関する展覧会も開催。
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