日本初のモヒカン前衛芸術家・篠原有司男が書簡集出版…17日で89歳、コロナ禍のNYから激白

北村 泰介 北村 泰介

 60年以上前からモヒカン刈りをトレードマークに、「ボクシング・ペインティング」で一世風靡した前衛アーティスト・篠原有司男が15日、ポップアートの巨星・田名網敬一への50年間に渡る書簡で構成する新著「LETTER FROM NEW YORK」(東京キララ社)を出版する。「ギュウちゃん」の愛称で知られる篠原は17日が89歳の誕生日。当サイトの取材に対し、拠点とする米ニューヨークからメッセージを届けてくれた。(文中敬称略)

 丑(うし)年にギュウちゃんが本を出す。といっても、本人は丑年ではない。1932年、東京・麹町生まれの申(さる)年。「ウシオ」だからギュウちゃんだ。

 69年に渡米した篠原が半世紀に渡る田名網への手紙や写真を満載。自身の活動や妻のアーティスト・乃り子との生活、ニューヨークでの各界スターたちとの交友録などがつづられている。著者は篠原、監修は田名網で、巻末には両者の対談も収録。田名網は84歳、2019年にはGENERATIONS from EXILE TRIBEとコラボするなど今も時代の先端を走る。

 記者が篠原の存在を知ったのは「日本残酷物語」というモンドなドキュメンタリー映画。モデル女性にバケツから絵具を浴びせ、足の裏まで筆代わりとする前衛芸術家が、63年の公開時点でモヒカン刈りだった事実に衝撃を受けた。日本初と称されるモヒカンをいつから試みたのかと気になっていたら、2人が出会った58年が「モヒカン元年」という証言が対談にあった。人の頭に歴史あり。

 篠原は当サイトに「東京芸大在学6年目に退学となり、暇をもて余していた時、ハリウッド映画『モヒカン族の最後』のモヒカン刈りにヒント、これはいけるぞと銭湯で5円のカミソリでたちまちかっこいいモヒカン頭に。渋谷の喫茶店で田名網君に見せたところ『スゲー』…」と経緯を明かした。

 ボクシング・ペインティングは、グローブに絵具を付け、キャンバスにパンチを繰り出した末に生まれる作品。21世紀になって日本でも関心が高まり、福山雅治と互いにクローブを付けて飲料のテレビCМで共演したこともある。その誕生秘話を本人に聞いた。

 「世界フライ級ボクシングチャンピオンに白井(義男)が輝き(※52年5月)、駅前の街頭テレビは黒山。ぼくはゲンコツを振り回して興奮した。その頃、グラフ雑誌の取材があり、野外アトリエのコンクリートの壁に10メートル、ケント紙を貼ると、ボロを巻き付けた拳を墨汁のバケツに突っ込み、それで右端から勢いよくヒットして行った。いざ出来上がったページを見て、ピカリ、これはいけるぞ!翌年、日本を取材、写真集のため来日中の写真家ウイリアム・クラインの求めに応じて披露した。これが彼の代表作の一つになり、ウシオの名前が世界に知れ渡った」

 今回の書簡集について語った。15日からは東京・銀座と代官山の蔦屋書店にて同書で取り上げた手紙の実物が展示予定だ。

 「食いねぇ、食いねぇ、スシ食いねぇ、江戸っ子だってねぇ、神田の生まれよ!御存知、虎造の浪花節、森の石松のくだりで、ぼくと田名網敬一君(通称。・タナさん)も同じ画家同志で江戸っ子だから気が合う。その後、ぼくは奨学金でニューヨークへ。見るもの聞くもの真新しく、情報を片っ端からタナさんに書き送った。郵便局の窓際に、まとめ買いの国際郵便シートを原稿用紙代りに情報を書きまくり、それがなんと50年後に300通以上、タナさんの書棚の隅から発見され、今度の新刊で日の目を見るとは、おしゃかさまでも気がつくめぇ!」

 在住するニューヨークは深刻な状況が続く。篠原はコロナ禍の中で迎える1・17に何を思う。

 「ぼくの誕生日が1月17日、この日はサンフランシスコ、阪神・淡路大震災の日。災害に対する心の準備は万全だが、吾輩の人生の最終楽章がコロナ禍の真っただ中のニューヨーク、ワクチン接種の順番待ちとは心細い。アートは心(ココロ)の戦いだと信じる文化移民の1人も、現実は、核兵器の鍵を持ち歩く大統領がいつ狂いだすかと戦々恐々。残りの人生、どう生きるか?と問われたならば、死ぬまで絵を描き続ける。『何も考えない写実画』ボクシング・ペインティングの三原則、『早く、美しく、リズミカル』を元にアクション写実画の連続パンチをどしどし発表して世の中を勇気づけるぞ」

 ギュウちゃん、コロナをKОだ。

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