「もっともっと」74歳のザ・タイガース、瞳みのるさんが現役であり続けられる秘訣とは?

インタビューで盟友・岸部四郎さんへの想いも語る

中将 タカノリ 中将 タカノリ

9月19日、ザ・タイガース瞳みのるさんが大阪市西成区岸里の西成区民センターで自身の74歳を記念したイベント「『瞳 みのるHa・Pee・y Birthday Event 2020 in Nishinari』~騎士の郷「明月荘物語」~」を開催した。

岸里はザ・タイガースがデビュー前の『ファニーズ』時代に、メンバーで共同生活したアパート『明月荘』があった場所。その"聖地"でのイベントということで、コロナ禍の影響で入場制限をした上ではあるが、会場には多くのファンがつめかけた。

イベントでは瞳さんが宇野山和夫さん(ザ・リンド&リンダース)などグループサウンズブーム全盛の時代を知るゲストとトークを繰り広げながら、ファニーズにまつわる貴重な写真、録音、映像を披露。

終盤では8月28日に亡くなったザ・タイガースメンバーの岸部四郎さんを偲びながら、この日にあわせリリースした新曲『明月荘ブルース』を熱唱してファンの涙を誘った。

青春をともに駆け抜けた盟友の死と、コロナ禍という特殊な状況…。瞳さんはどのような想いでこのイベントに臨んだのだろうか? イベント終了後、あらためてインタビューに応じていただいた。

中将タカノリ(以下「中将」):久々のイベント出演を終えた感想をお聞かせください。

瞳:1年に1回しかない誕生日をずらすわけにもいかないので「コロナで駄目になったらどうしよう」と思っていたんですけど、どうにかやり終えられて嬉しいです。

中将:新型コロナの影響でライブやイベントがほとんど開催されていなかったので、久々に瞳さんの姿を観られてファンのみなさんの喜びはひとしおだったと思います。

瞳:人数制限をしなくてはいけなかったことや、来ようとしても来れなかった人がいたのは残念ですが、ファンには感謝しています。また横関稔(よこぜき みのる)区長をはじめ西成区役所のみなさんもかなり冒険してくれたと思います。無事にイベントを終えられたのは、いろいろアドバイスやご協力をいただいた西成区役所のみなさんの力が大きかった。

中将:2015年に開催された「瞳 みのる Ha Pee y Birthday Event 2015 in Nishinari」が大成功だったのでお互いに信頼感があったんですね。

岸里に住んでおられた頃、今後の人生についてどう思っておられましたか?

瞳:1966年1月に『ナンバ一番』(当時絶大な人気を誇った大阪ミナミのジャズ喫茶)に出られるようになり、岸里の明月荘に住んだんです。初めは月数回しか出られなかったのが、日を追うごとに人気が出て出番が増えていきました。希望や嬉しさはあったけど、なんの保障があるわけでもないし「やっぱり駄目なんじゃないかな」という不安は常にありましたね。「1年やって駄目なら辞めて京都に帰ろうかな」とも考えていました。今回リリースした「明月荘ブルース」はそんな当時の心境を思い出して作った曲です。

中将:明月荘時代から50年以上が過ぎましたが、瞳さんはなお精力的に活動され、お子さまも授かられるなど未来志向で人生をエンジョイされているなと感じます。いつまでも若々しくアクティブであり続ける秘訣はあるのでしょうか?

瞳:僕は自分がいくつになったとかもう何歳だからとかまったく考えないんです。「もっともっと」というのが僕のモットー(笑)。自分に対するコンプレックスもあるし、なにごとも現状のままというのが嫌な性格なので、少しでも進歩、前進していたい。母親が2歳で亡くなっているので、独立心も人一倍あるんでしょうね。

中将:70代って引退モードに入ってる方も珍しくないので、瞳さんほど現役感のある方は珍しいと思います。

瞳:みんなもっと世間で活躍しようと思っていいと思うんですがね。テレビとかを見ていて非常に残念なのが、僕たち団塊の世代の人間があまり取り上げられないこと。日本で一番人口の多い世代なのに、それにくらべて活躍している人が少なすぎる気がするんですよ。今さら見たくないよって思われてるのかもしれないけど(笑)。

中将:「明月荘ブルース」を歌われた後、岸部四郎さんに言及して涙ぐまれたのは印象的でした。瞳さんにとって四郎さんはどのような存在だったのでしょうか。

瞳:四郎のことはザ・タイガースに加入する以前の小さい頃から知ってるので、どこか弟のように思ってしまうところがありますね。明月荘では一緒に生活していないけど、オリジナルメンバー同然なんですよ。

音楽的な功績も大きかった。ビルボード・チャートの動向に詳しく、アメリカで流行っている音楽をいち早くキャッチして教えてくれることは僕たちの強みでした。そして、加橋かつみが抜けた後の穴をあの美声で見事に埋めてくれたことは奇跡的な巡りあわせだったと思います。

中将:四郎さんと最後にお話された時のことって覚えておられますか?

瞳:最後に会ったのは2013年のザ・タイガースの東京ドーム公演なんですが、会話はほとんどなかったんです。2012年に沢田研二のツアーで共演した時はもう少し元気だったんだけど、この時の彼はかなり弱っていました。元々あまり物事に動じない男なんだけど、緊張もしていたと思います。余計なことを言って調子を崩させたくなかったから、あえて積極的に話しかけることはしませんでした。終わった後、他のメンバーとは打ち上げがあったんだけど四郎は先に帰っちゃった。あれが最後になるとは思ってもみませんでした。

『瞳みのる(ひとみ みのる)』プロフィール
1946年9月22日生まれ。京都市出身。
1967年、ザ・タイガースのドラマーとしてデビュー。1971年のグループ解散後は芸能界から引退し、大学進学を経て教職へ。慶應高校で教鞭をとる傍ら、中国文学を研究し、数々の文化事業に携わる。2011年、芸能活動を再開。精力的な音楽活動、著作活動を展開している。
公式サイト https://hitomiminoru.com/

『明月荘ブルース』
発売日:2020年9月19日
価格:1,500円(本体1,364円)
品番:cd-008
商品詳細サイト https://www.hitomiminoru.com/22store/

◇ ◇

遠い青春の日々を胸に抱きつつも、いつまでも前向きに今と未来に臨み続ける瞳さん。その生き方はこれからの高齢化社会を豊かなものにするためのヒントにあふれている気がする。

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