野外フェス、厳戒態勢の開催から2週間「感染者なし」を発表 プロデューサーが語る覚悟の舞台裏

黒川 裕生 黒川 裕生

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外の音楽ライブや野外フェスが軒並み中止、延期を余儀なくされる中、8月29日、30日に大阪・泉大津フェニックスで、関西を代表する野外ロックフェス「RUSH BALL(ラッシュボール)」が例年通りの日程で開催された。コロナ禍の先行きが見えず、音楽業界がどん底に沈み込んでいた6月末、Twitterと公式サイトで突如「実施の準備をします」と静かに宣言して音楽ファンを驚かせてから2カ月。「本気か?」「できるのか?」と多くの人が固唾をのんで見守る中、規模は縮小しながらも野外フェスの灯を絶やさず、2021年に小さな望みを繋いだ。プロジェクトの裏にはどんな苦労や覚悟があったのか。閉幕から10日後、プロデューサーの力竹総明さん(グリーンズ)に話を聞いた。

【RUSH BALL】1999年から続く関西の邦楽ロックフェスの代名詞的存在。大阪、神戸と会場を変え、2005年から現在の泉大津フェニックスでの開催が定着している。2020年は[Alexandros]とCreepy Nutsがそれぞれ初日と2日目のヘッドライナーを務めた。

無理だと判断したらやめるつもりだった

――まずは、無事に終えることができた率直な感想を。

「会場から感染者が出ていないか。クラスターが発生していないか。何事もなく2週間が経過するでは、全く気が抜けません。どこにどんな穴があるかわかりませんから」

――開催までには言葉にできないほどの逡巡や苦労があったと思います。

「実は最初から、無茶をしてまで実施するつもりはありませんでした。コロナ禍に対するレジスタンス的な気持ちもなくて、大阪の感染状況などを見ながら、無理だと判断したらすぐやめようと話していたんです。最終的に開催を決めたのは、7月末でした。会場でお世話になっている泉大津市さんが『協力します』と言ってくれたので、これでもう“やめる理由”がなくなった、と腹をくくりました」

徹底的な感染対策「安心は自分たちでつくる」

――参加を関西圏在住者に限定した上で、WEB問診票の記入や大阪コロナ追跡システムの登録、入場時の検温を徹底。さらにステージを例年の2から1に減らし、スタンディングエリアに柵を張り巡らせるなど、当然ですがこれまでとは全く違う厳戒態勢での開催になりました。演奏中は歓声もなく、モッシュやダイブもありませんでした。

「医療関係者や行政などとも協議を重ね、様々なシミュレーションをして臨みました。それでも結局は、現場に行かないとわからないことばかりでした。検温で体温が37.5度以上の人も初日と2日目にそれぞれ1人ずついたんですが、熱中症なのかコロナなのか、その場では判断ができないんです。最終的には『仮にあなたが感染していたとすると、ここから濃厚接触者が出ることになる。どうしますか?』と確認して、2人とも帰っていただくことになりました」

「感染対策では掃除のプロであるダスキンさんが、バックヤードやトイレを定期的に、そして徹底的に消毒してくれました。ダスキンさんも初めてのことなのでどこまでやればいいかわからず、今考えると少し過剰だった気もしますが、今回に関しては過剰なくらいで良かったと思います」

――第4稿まで更新された感染防止の細かいガイドラインも公開していますね。

「ガイドラインのデザインは、北海道のものが見やすかったので、参考にさせていただきました。デザイナーと相談しながらイチから作ったのですが、完成してもこれが良いのか悪いのか全然わからない。そこで我々は、出演者、参加者、スタッフなど、立場の違いを超えて全員が共有できる“フルオープン”の考えで取り組むことにしました。『自分たちで安心をつくっていく』という姿勢を打ち出し、情報を更新していきました」

――今後、別のフェスでも参考にしてもらおうという意図もあるのでしょうか。

「いえ、このガイドラインが一人歩きすることは全く望んでいません。日本には多くのフェスがありますが、会場の環境や運営方針などはそれぞれ大きく異なります。『今年のラッシュボール』に関してはここまで細かく決めたけど、よそのフェスには合わない部分もあるだろうし、来年、再来年は『もう要らん』となっているかもしれない。記録としては残しておきますが、基準にしてもらいたくはないですね」

スタンディングエリアに細かく張り巡らされた柵

――1人ずつしか入れないあの柵はどうやって生まれましたか。

「誰もノウハウなんて持っていないわけですから、大阪城ホールのアリーナや、Zepp(ライブハウス)などの鉄柵をぼんやりイメージするところから始まりました。あれを何十人、何百人ではなく“1人ずつ”の仕切りにしたら密着が避けられるのでは…と思ったのです。所詮は机上の空論だったのですが、現地で試しにバリケードを立ててロープを張ってみたら、『よくわからんけど何とかなりそうだ』という手応えがありました。材料は牧場や工事現場なんかでよく見る緑のフェンスネットを使うことに決め、例年なら1日あればできる客席を、ほぼ丸4日かけて整備しました」

――実際にお客さんを迎えたとき、どんな気持ちになりましたか。

「ライブができなくなって半年、鬱憤が溜まっていた熱狂的なファンが最前列で見ようと殺到してフェンスが倒され、収拾がつかなくなる…そんな事態も想定できたので、気が気ではなかったというのが正直なところです。何かあったらすぐステージに出て注意喚起しようと準備していました。でも蓋を開けてみると、お客さんはこういう形で開催することの意味をすごく理解してくれていて、もちろん全員がルールをきっちり守れていたわけではないですが、少なくとも恐れていたようなトラブルはなく、熱中症も警戒していたほどは出ませんでした」

「本来、フェスで暴れるのは普通のことだし、人との距離を保つのも“要請”なので、守らなかったとしても“犯罪”ではないんです。でも、主催者としては『法に触れていなくても、何かあれば民意が許してくれないだろう』という怖さを感じていました。だから心苦しいけど『今回はごめん、我慢して』と。アルコールの持ち込みや販売についても、酔っ払うとどうしても気持ちが大きくなる人が出てくるので、苦渋の決断で禁止しました」

ありとあらゆることに気を配り続けた当日

――とはいえ、初日に最初の音がバーンと鳴った瞬間はこみ上げるものがあったのでは。

「あんま覚えてないです。とにかくあらゆることに気を配らないといけなくて。ステージは信頼するスタッフに任せていますから、最初のバンドが始まったときも、いつものように『まずはひとつクリアやな』と思ったくらい。むしろ、さあ次は救護所か? 入り口は大丈夫? 飲食はどう? 誰々は到着した? …と、考えなあかんことがどんどん浮かんでくるので、そっちの方にかかり切りでした」

――無理と思ったらやめると言いつつ、最終的に開催に踏み切った理由は。

「やっぱり、支えてくれる人がいたのが大きかったです。もちろんクレームもありましたよ。特に泉大津市は10月の『泉大津だんじり祭』の中止が決まっていたので、『だんじりがなくなったのになんでイベントやんねん』とか、『コロナを運んで来るんか』とか、それはもういろいろです。8月の最終週になる頃には僕も『やめときゃよかった』と激しい後悔に襲われていました。やめたらどんだけ楽やったか…。でも支援してくれる人がいる。協力してくれる人がいる。いろんなところを説得して回ってくれている人がいる。『これはもう、やり切らんとあかん』とようやく吹っ切れたのが、開催前日の金曜日。無の境地にたどり着きました。もうなんでも来い、という気持ちでしたね」

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