渡哲也さんがアドリブで歌った「たいやきくん」、共演者に求めたサイン…ドラマ「大都会」の舞台裏

北村 泰介 北村 泰介

 銀幕のスターとして躍動し、テレビドラマでも大人の男の魅力を放った俳優・渡哲也さんが肺炎のために78歳で亡くなった。4年前になるが、石原プロが本格的にドラマ制作に乗り出した日本テレビ系「大都会」シリーズ(1976年1月~79年9月)に焦点を当てた連載企画で、石原裕次郎さんと共に同シリーズの主役・黒岩刑事を演じた渡さんについて、共演者やスタッフからその人となりをうかがう機会があった。その中から印象に残ったエピソードをご紹介する。

ピラニア軍団へのリスペクト

 第1シリーズ「大都会 闘いの日々」第23話「山谷ブルース」(76年6月8日放送)で迫真の演技を見せた「ピラニア軍団」の志賀勝さんは、現場で渡さんにサインをお願いした時の「返答」に対し、「驚きと感動の二重奏」だったという。

 志賀さんは1942(昭和17)年1月生まれで、前年12月生まれの渡さんとは同学年。東映映画で斬られ続けた大部屋出身の志賀さんに対し、渡さんは青学大から鳴り物入りで日活に入社したスターだが、同作で主役に抜てきされた志賀さんは渡さんを脇に回しての大役に「とにかく緊張したことを覚えています。夢中でセリフが出てました」という。

 そんな志賀さんが渡さんとの撮影後のエピソードを明かしてくれた。

 「渡さんに『サインください』とお願いしたんです。そしたら、渡さんが『僕にも志賀さんのサインをください』と言われるので、びっくりしました。自分はやられ役専門でしたから、普段から『サインしてください』なんて言われたことなかったですよ。ほとんど初めてと言っていいサインのお相手が天下の渡哲也さん。もう震えてしもて、何を書いたか覚えてません」

 渡さんは迫真の演技を見せた志賀さんに敬意を表してサインを求めた。肩書や格など関係ない。「腰の低い方でした」。志賀さんはそう実感する。自費出版した著書「悪役 志賀勝 自伝」でも「渡さんは、人物が違うな、と思いました」とつづっている。その志賀さんも今年4月、渡さんと同じ78歳で亡くなられた。

たいやきくん

 「大都会 闘いの日々」の最終話「別れ」(76年8月3日放送)には、渡さん演じる黒岩刑事が、結婚を約束した篠ヒロコ(現・ひろ子)さん演じるクラブのママに去られ、自室のちゃぶ台で一升瓶の酒をあおりながら「およげ!たいやきくん」をしみじみと歌うシーンがある。

 発売当時、453.6万枚(後年の再発盤含め457.7万枚)を売り上げ、オリコン歴代シングルランキング史上1位という、同年の大ヒット曲とはいえ、渡さんの一般的なイメージとは違う。ご本人の意志だったのか、スタッフのリクエストだったのか。気になっていたところ、同回を演出した映画監督の村川透氏に取材の機会をいただき、その裏話を聞いた。

 村川監督は「哲ちゃんに『何でもいいですから、歌って』と言ったら、その場で歌い出したんです。味があっていいんですよ。泣けてきた」と証言。渡のアドリブによる選曲のセンスだった。真面目、硬派といったイメージが先行したが、実際はお茶目で、遊び心のある一面もあり、その素の部分がポロっとこぼれ落ちた「たいやきくん」の歌唱場面だった。

現場のコーヒー

「大都会PARTⅡ」第3話「白昼の狂騒」(77年4月19日放送)で凶悪犯を演じたフォークシンガーの三上寛は「恐縮した」という。待ち時間に、渡さんがコーヒーを運んでくれたからだ。

 「渡さんはゲストに親切でね。『三上さん、コーヒーはいりましたから』って持ってきてくださるんだから。びっくりしましたよ。出番の時には私の履き物までそろえてくださって、こちらも恐縮しましたよ」

 三上は当時、東映映画で役者としても注目され、渡さんの弟・渡瀬恒彦さんと酒を酌み交わす間柄になっていた。恒彦さんから渡さんの話を聞かされていたという。

 「渡さんは東京に出た大学時代、空手部の後輩が一杯いる部屋で、淡路島のご両親からの手紙を押し入れに入って読んでいたと渡瀬さんから聞きました。ご両親は厳格で、しっかりされた方だから、手紙であっても人がたくさんいる部屋でなく、独りで襟を正して読んでいたと。人柄がよく分かりました」

   ◇   ◇

 三者三様の思い出から共通しているのは、共演者やスタッフに対する「腰の低さ」や「誠実さ」。接した人の数だけ、これからも、様々な「渡哲也像」が語り継がれていくだろう。

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