流通アナリストの渡辺広明氏が「ビジネスパーソンの視点」から発信する「最新流通論」の今回は「スマホとタブレット」がテーマ。生活必需品となった両機器について、自身の日常を踏まえて解説する。
◇ ◇ ◇
iPhoneやiPadをセットしSkypeやZoomで繋ぎ、自宅からニュース番組の生放送でコメントする…。昭和の時代には全く考えられなかったことが現実のように当たり前になっています。息子たちから見ると、「できるよね当然」という感覚で著しい世代間ギャップを感じます。
私はパソコンを持っていないので、スマホとタブレットが仕事でもプライベートでも手放せません。実は、執筆もスマホのフリック入力で、満員電車の吊革を持ちながらや、就寝前のベッドで寝っころがりながら、もしくは自宅のソファでするため、ライターの仕事をしているようにはとても見えないし、家族から見たらスマホを弄(もてあそ)んでネットサーフィンでもしてダラダラしているように見えているみたいです。
昔の自分と比較すると、ウォークマンで音楽を聴いていたのはiPhoneでの聴き放題サービスに変わり、動画撮影に至っては、イベントの時にハンディカムで撮る特別なことではなくなり、ちょっとしたことでもすぐ動画を取る行動に変わりました。写真に至っては、スクショを含めると1日平均30枚以上は確実に撮影しています。
3つの機器が、電話やメールのできるスマホに全て取り込まれてしまった感じです。モノを売るという視点からは、マーケットは確実にシュリンクしています。
タブレットのiPadは、スマホの保管としての機能として使用。家でゆっくり本を電子書籍や雑誌読み放題などで読む、映画やドラマを観る、会議や講演の資料をパワポで作るのに必須です。そして、商談でもノート代わりにAppleペンシルを使い。カーナビとしても使っています。買い物も現金を使う機会はめっきり減り、ほとんどは、スマホを使用しての電子決済です。
僕の生活は、衣食住やコト消費以外はこの2つで成り立っているといっても過言じゃない。ある意味恐ろしい。でも多くの方が、スマホを中心の生活をしているのも間違いない。依存との悪い見方と、ひとつの機器に集約されて効率的との見方の二方向あるかも。
でも、荷物が軽くなったなあという気もしない。充電がなくなると生活が破綻するので、カバンの中に充電器関連をたくさん持っているからです。
と、ここまで書いて、デジタル・デトックスでスマホを手放す日を作ろうと真剣に考えるに至りました。みなさんはいかがですか?