アイドル歌手デビューし、格闘家としてリングにも立った俳優・新田純一は、ファスティングなどでコロナ禍と向き合う日々をSNSで発信している。休業を余儀なくされていた5月には57歳の誕生日を迎えた。新田は当サイトの取材に対し、来年で40周年を迎える芸能生活の原点や健康への思いを語った。
フジテレビのオーディション番組「君こそスターだ!」で審査員特別賞を獲得し、1981年にはNHKの歌番組「レッツゴーヤング」で川崎麻世、ひかる一平らがいた「サンデーズ」のメンバーに。翌年にデビュー曲「Hop・Step・愛(LOVE)」をリリースし、中森明菜、小泉今日子、早見優、堀ちえみ、三田寛子、シブがき隊ら「花の82年組」と称された顔ぶれの中、たのきんブームを背景に「マッチ(近藤真彦)のそっくりさん」として注目された。
父・静雄さんはビックバンドにいたトランぺッターで、78年に「夢追い酒」が大ヒットした渥美二郎のバンドマスターとして全国を飛び回っていた。「子どもの頃から芸能人と会っていたこともあって、その世界に興味はなく、体育教師か警察官になりたかった」
それでも血は争えなかった。父との縁を通して入った芸能事務所から「新田純一」と命名された。「ニッタと読めずに『シンダ・ジュンイチ』なんて嫌だと言ったら、会長から『新栄プロの新、山田太郎と村田(英雄)先生の田だ』と説明された。重い芸名だったんです。そういう流れになったからにはやるぞという感じで」
20代初めで俳優にシフトし、日本テレビの年末時代劇スペシャル「忠臣蔵」や「白虎隊」に出演。ブルース・リーに憧れ、小学生の時から打ち込んだ空手が「剣を手にして相対する間合いや足さばき、腰の座り」に通じた。
空手の経験はリングでも発揮された。2002年に格闘技イベント「IKUSA」を旗揚げし、プロデューサー兼選手として参戦。11年には谷山ジム主催の「ビッグバン・統一への道 其の四」で山本優弥選手と拳を交えた。「山本君はK-1ワールドMAX世界3位の選手。エキシビションとはいえ、リングに上がるとすごいですから、これは死ぬなと思った。IKUSAの旗揚げ戦では肋骨を3本折りました」
格闘技に取り組んだ背景について「新しいパートナーとの生活が始まった節目の頃。その中で何か新しいことやろうというのがあったんだと思いますね」と明かす。歌手・八代亜紀の専属ヘアメイクアップアーティストである聡子(としこ)さんと再婚。コロナ禍では夫婦でファスティングに挑んだ様子をLINEのタイムラインで公開した。
「2年前に女房と一緒にファスティングマイスターの2級という資格を取った。今回、僕は5日間、女房は7日間。脳を活性化し、免疫力を高めるため、飢餓状態になると動く生存遺伝子を働かせて腸内環境をリセットするのが目的です。3日たった空腹状態で、昆布で煮だしたおつゆを飲むだけで、どれだけおいしいか。旨味が半端じゃない。ファスティングを終えてからの回復食もしっかりやらないと意味がない。こぶだしに大根を入れて煮込み、そこに梅干しをちぎって入れて少しずつ時間をかけて食べる。あとは、味噌をつけたキュウリ。3―4日分の最後にたまっていたものがズボーンと出ます」
ウォーキングの様子もLINEで報告。「1万5000歩、約10キロを目安に、多い時で2万7000歩、20キロくらい。空腹で街を歩くと家庭から漂うカレーなど料理の匂いがたまらないですけど、我慢して(笑)。雨や疲れた時は無理せず、家にいます」
志村けんさん、岡江久美子さんの死から衝撃を受けた。「ドリフターズの『全員集合』にも出させていただきましたし、岡江さんとは2時間ドラマで何度も共演させていただいた。健康にも一番気をつかっているような方があっけなく亡くなられるという恐怖をリアルに感じました」。妻と共に抗体検査を受けてLINEで報告。「僕も57歳。これからは健康じゃないことには話にならない」。その思いがファスティングとウォーキングにつながっている。
コロナ禍で仕事は次々にキャンセルされたが、その間、SNSの発信に反響があった。人生に無駄な時間はない。「自粛していたので、最近、人と会って話せるようになると面白く、ワクワクしてきました。40周年に向け、皆さんに喜んでいただけることを考えるようにしたい」。活動再開に向け、引き締まった体で前を向いた。
◆新田純一(にった・じゅんいち)1963年5月8日生まれ、東京都出身。21歳から俳優活動を本格化。特技は狂言(大蔵流)、空手。趣味はゴルフ。得意料理は中華とイタリアン。BS11「八代亜紀いい歌いい話」に出演中。