「火垂るの墓」の舞台に記念碑建立 “節子”を連れて西宮に着いた日から75年

國松 珠実 國松 珠実

 6月7日、兵庫県西宮市にある西宮震災記念碑公園で、「火垂(ほた)るの墓」記念碑の除幕式が行われた。野坂昭如氏の小説で高畑勲監督によりアニメ作品にもなったが、ここがその舞台だ。小説は、野坂氏自身の体験に基づく。神戸大空襲で焼け出された野坂氏とその妹の2人が身を寄せた親戚宅は、公園近くの満地谷(まんちだに)地区にあった。またアニメ作品では、満池谷の北にあるニテコ池と防空壕が描かれた。小説を通じて「戦争を忘れないで」という思いが形になり、西宮市で初の文学碑が建った。

 「満池谷に記念碑を」の声に応えて

 公園の藤棚近くにある記念碑は、「アンネのバラ」をはじめ四季折々の花に囲まれている。「小説 火垂るの墓 誕生の地」と刻まれた碑は、台座からの高さが2.2メートル。園内の他の碑に比べこぢんまりとしていて、ほんのりピンクがかったさくら御影石を使っているせいか柔らかな印象だ。本を重ねたデザインの台座は、これが文学碑であることを物語る。

 向かって右の石板には、小説から引用された一文と解説と、蛍とたわむれる主人公の清太と節子が描かれた陶板の挿絵がある。左には作者、野坂昭如氏の略歴と顔写真。それぞれ英訳も付けられ、細やかな心配りを感じさせる。

  25年前、戦時中の満地谷に野坂少年が住んでいたと知った「火垂るの墓記念碑建碑実行委員会」の代表、土屋純男さん。以来、一時妹と生活したという防空壕や、親類宅の場所、当時の野坂氏を知る住民からの聞き取りなど詳細な調査を行っていた。2015年に氏が亡くなったのを機に「満地谷に記念碑を」と声があがり、2年後に委員会が発足した。

 「戦争は悲しみだけが残るんだ」の言葉を継ぐ

 小説の版権を持つ出版社に協力依頼をしたり行政との交渉、また近所6000戸に募金協力のポスティングを行ったりと、碑を建てるため地道な活動を続けた。結果、のべ1500人から800万円以上の募金が集まる。予想以上の額に作品の持つ力を実感した土屋さんは「おばの4歳の子どもが焼夷弾に当たって亡くなった、二度と戦争をしてはならないと募金してくださる人もいた」と語る。

 記念碑の裏には、委員会が恒久平和を祈念する文も刻まれた。そこには、野坂氏の「戦争は悲しみだけが残るんだ」という言葉を、後世に伝えなければという思いがある。

 土屋さんは以前、映画『火垂るの墓』の感想を聞かれた小学校高学年の子が、「なぜ節子にコンビニでおにぎりを買ってやらなかったのか」と、清太をなじったという話を聞いたそうだ。

「戦後75年を生きる子どもたちには、戦争の悲惨さを伝える前に、配給や空襲といった言葉の意味から丁寧に教える必要がある。戦争を伝える人間がいなくなるからこそ、形に残す意味があると思う」。

  75年前の6月5日の神戸大空襲で、野坂少年は当時1歳の妹を連れて9日に西宮へ到着。翌月7月31日に福井へ疎開するまでの52日間を西宮の満地谷で過ごした。土屋さんは「除幕式を6月7日としたのは、西宮へ来た彼の人生の足跡に合わせたから」と話してくれた。

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