横田滋さん死去、交流あった小川泰平氏が悼む「純粋な人。胸が痛い」…政府には「時間がない」

小川 泰平 小川 泰平
記者会見する横田滋さん=2002年10月、東京・台場(提供・共同通信社)
記者会見する横田滋さん=2002年10月、東京・台場(提供・共同通信社)

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=失踪当時(13)=の父で、拉致被害者家族会初代代表の横田滋さん(享年87)が5日に老衰のため死去したことを受け、元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏は6日、当サイトの取材に対し、現職時代に交流のあった横田さんとの思い出を振り返りながら「その無念さを思うと胸が痛い」と悼み、「時間がない。可能な限り、いろんなチャンネルを使って対応すべき」と早急な拉致被害者への対策を求めた。

 小川氏は「私は約30年前、川崎市川崎区に居住しており、横田さんご夫妻とご近所でした。川崎駅からバスで行き来する地域で、最初にお会いしたのはバス停でした。『今から講演に行くところです』などと言葉をやり取りをしたり、現職の警察官だった私も自分の身分を明かして、いろんなことを話した思い出があります。『めぐみと会えるのを楽しみにしている』と話されていました」と振り返る。

 1977年11月15日、日銀新潟支店に勤務していた横田さんの当時中学1年だった長女めぐみさんが下校中に失踪。97年、亡命工作員の証言などで北朝鮮に拉致された疑いが浮上した。それ以降、横田さんはメディアなど公の場に登場する機会も増えた。

 小川氏は「警察では、警戒・警備の対象となる重要施設を総称して『重要防護施設』と呼んでいます。横田さん宅は『準防護対象施設』、ご夫婦は『準防護対象者』になっていました。これは国会議員や著名人などもその対象となります。署員がお宅をパトロールし警戒します。私はその業務には就いてはいなかったのですが、ご近所に住むものとして個人的にお話しさせていただいた。お話好きで気さくな方でした」という。

 2002年9月、小泉純一郎首相との日朝首脳会談で金正日総書記はめぐみさんを含む13人の拉致を認め、めぐみさんは死亡したと発表。「遺骨」とされる骨も渡されたが、その後、鑑定で別人と確認された。

 小川氏は「蓮池さんが帰国した時、横田さんは『次はめぐみの番だ』とおっしゃっていました。ただ、拉致被害者の代表をされていた時は、他の被害者の方の気持ちも配慮して、一番会いたいはずの娘さんに対する気持ちを抑えるなど、すごく気をつかう方だった。北朝鮮から小泉首相に『めぐみさんは亡くなった』との回答があった後にも、あきらめていなかった。駅前の署名活動等でも通りすがりの人とお話されるなど気さくな方でした。」と語った。

 小川氏は「誘拐、逮捕監禁の事件であり、継続犯で時効ではない。だが、拉致被害者の家族の方は高齢化が進んでいるのも事実。時間がない。安倍首相は総裁選の時などに『時間をかけて、自分の手で取り返す』とおっしゃってきたが、何も動いていないと感じる。もしかして、内々で交渉をしているのだとしても、米国のトランプ大統領に丸投げして時間だけがたっているように見えます。『時間をかけて取り戻す』と言っても、家族の年齢などを考えたら『時間はない』のです。コロナのこともありますが、日本政府には、いろんなチャレンジをして、やれることを全てやってほしい」と訴えた。

 さらに、同氏は「横田さんは、安倍首相が『自分の手で取り戻す』と発言した際に『信じています』とおっしゃっていました。すごく純粋で、人を疑わない方なのです。それだけに、めぐみさんと再会することなく亡くなられた横田さんの無念を思うと私は胸が痛いです。心からお悔やみ申し上げます」と悼んだ。

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