女性に勘違いされて芸名誕生 渡辺いっけいの青春はサブカル雑誌にあり

石井 隼人 石井 隼人
サブカル雑誌常連だった渡辺いっけい(撮影・石井 隼人)
サブカル雑誌常連だった渡辺いっけい(撮影・石井 隼人)

どんな形であれ、誰しもが通過する“青春時代”。俳優の渡辺いっけい(57)の青春時代は、月刊誌ビックリハウスにある。“渡辺いっけい”という芸名を生み出したきっかけにもなった。

ビックリハウスは1974年から1985年にかけて発行されていたサブカル誌。パロディやコラージュ、ギャグなどを含めた読者投稿欄を充実させた誌面構成が人気だった。“ハウサー”と呼ばれる投稿者の中には大槻ケンヂ、清水ミチコ、ナンシー関、佐野四郎、松重豊ら後に著名になる人物も多く、渡辺もその一人だった。

出会いは中学生のころ。地元の町に初めてできた書店で手に取った。「建築関係の本かな?と思って読んだら、素人さんの投稿ネタで誌面が成り立っているということに気づいた。テレビやラジオでもない、雑誌でここまで自由なことができるのか!?と衝撃を受けたのを覚えています。人生で初めてサブカルチャーというものに触れた瞬間でもある」と振り返る。

最も熱中していたのは、漫画家を夢見ていた高校時代。「投稿コーナーは得点制になっていて、1年間の合計点数がトップになると『文化功労賞』がもらえて、雑誌が1年間無料で送られてくる。それを獲るべく授業中も投稿ネタのことばかり考えていました。『文化功労賞』は逃しましたが、2位にはなれましたよ」といまだ誇らしそう。

“渡辺いっけい”という芸名も、ビックリハウスがなければ生まれなかったもの。「初めて自分の投稿が掲載されたのはパロディコマーシャルというコーナー。映画『コンボイ』のトラックをトラクターに変えたパロディ『タンボイ』というイラストを出した。そうしたら寸評に“女性にしてはとても力強い絵だ”というようなことが書かれていました。本名の“渡辺一恵”で出していたので、女性と間違えられたんです。これは本意ではないぞと色々考えた結果、下の名前を音読みにした“渡辺いっけい”というペンネームが生れたんです」と誕生秘話を明かす。

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース