裁判員裁判での死刑判決が、高裁で無期懲役に減刑される事例が相次いでいる。2015年に埼玉県熊谷市で発生した連続殺人事件もそうだ。6人を殺害したペルー人のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告に対し、昨年12月、東京高裁が一審の死刑を破棄して無期懲役の判決を出し、高検も上告しないことで、事実上、死刑はなくなった。これを受けて、遺族男性と被害者の代理人を務める弁護士が26日、都内の日本記者クラブで会見。控訴審も裁判員裁判にするか、検察官が上訴しない時は被害者側に固有の上訴権を与えるべきと訴えた。
死刑から無期懲役に減刑された理由は「心神耗弱」。完全責任能力を認めた裁判員裁判の一審判決に対し、二審の東京高裁判決は被告の統合失調症による妄想が犯行全般に影響を与えたと判断した。妻と当時小学生だった娘2人を殺害された夫の加藤さん(47)は「結論ありきで、ただ裁判官が個人的に死刑にしたくなかっただけだと思います」と絶望感をにじませた。
髙橋正人弁護士は異論を唱えた。控訴審の判決では、殺された3件の被害者宅への侵入は「妄想上の追跡者から逃れる目的」とされたが、高橋氏は「なぜ『避難先』の他人を殺さなければならなかったのか。被害者は女性、高齢者、小学生で、被告の『被害妄想』の中身とも一致していない。加藤さんの長女(当時小学5年)に対する性的行為にいては、追跡者から危害を加えられるという妄想とは全く結びつかないが、そこを(検察側は)完全にスルーした」と解説した。
上谷さくら弁護士は「法廷での尋問の時、被告は机に突っ伏してほとんど顔も上げなかったのが、(一審で)死刑の宣告が出た時、目を大きく見開いて、裁判官の顔を見た。私たちの席から彼の顔がはっきり見えました。彼は理解していました。不規則発言や異様な様子をしても、大事なところは聞いていて意味が分かっていた」と証言。「犯行時の責任能力が問われているのに、裁判時のそうした彼の様子に裁判官は引きずられたのではないか」と私見を述べた。
その上で、上谷氏は「検察官が上告しなかったのは『不戦敗』で、こんな負け犬根性でどうするんだと思います。ある日、突然、家族3人を殺された加藤さんは『無期判決を維持するのが正しいのか、無罪にすべきか』という、さらに刑が軽くなる裁判に付き合わねばならない。こんな理不尽なことが許されていいわけがない。制度の枠組みとして検討すべき時期にきている」と訴えた。
対案として、高橋氏は「控訴審もフランスと同様に裁判員裁判にするか、被告人(弁護人)は上訴したが、検察官が上訴しない時は、被害者参加人に固有の上訴権を与えるべきではないか」と提案。同氏は当サイトの取材に「フランスでは『参審員』と言いますが、日本でいう裁判員裁判が2回できるのです」と説明。また、被害者側の上訴権について「ドイツにはあり、決して奇異な制度ではない。日本の司法制度は、被害者や市民の意見を取れ入れる世界の潮流に反している」と付け加えた。
加藤さんは「なぜ、遺族には上告する権利がないのでしょうか。運が悪かった、諦めろ…とでもいうのでしょうか。この国の司法は間違っていると思います」と主張した。
取材を通して遺族と寄り添ってきた元神奈川県警刑事で犯罪ジャーナリストの小川泰平氏は「先週の月命日に加藤さんのご自宅でお会いしました。今回の会見は加藤さんの正直な思いの全てだと思います。今回の高裁の判決、検察の上告放棄は、どれだけ考えても納得がいかない。元々、人前で話をすることなどできる人間ではなかった、加藤さんの強い思いが、全国の人々、そして司法関係者に届くことを切に願っています」と思いを寄せた。