麻原彰晃も顧客だった?伝説の「目川探偵」を追跡 顔写真入り広告で知名度抜群、ラジオ番組も

樺山 聡 樺山 聡
京阪電鉄の丹波橋駅に掲げられたという目川探偵の看板。顔写真の下に「私の年齢をお当て下さい」とクイズが書かれている
京阪電鉄の丹波橋駅に掲げられたという目川探偵の看板。顔写真の下に「私の年齢をお当て下さい」とクイズが書かれている

 京都にはかつて、抜群の知名度を誇った探偵がいた。その名は「目川探偵」。なんせ、「信頼の顔」と銘打って新聞や電話帳、駅の広告に「本人」の顔写真を載せていた。KBSラジオで生番組も持っていた。本来、追跡するはずの探偵が、放送中に自身がいる場所のヒントを出して、リスナーに追跡させていたのだ。ことごとく業界の常識を覆す痛快の風雲児。京都で神出鬼没の「おっさん」は何者なのか。

 今から30年以上前。バブル期の1987年、関西大の永井良和教授(社会学)は京阪電鉄の丹波橋駅で広告看板を見つけ、目を疑った。「私の年齢をお当てください。ハガキ乞う、記念品進呈」。顔写真の下にクイズが書かれていた。

 新聞紙面で月に数回、ゲリラ的に出現する謎の探偵。「そこに神秘を見いだしていただけに、ちょっと興ざめした」。その後、永井教授が電話帳をめくると、目川探偵の広告で顔写真の下に「昭和7年生まれ」と律義にも答えが書いてあった。「そこまでするかって、思わず笑ってしまいました」

 彼は本当に実在するのか。永井教授は「目川探偵局」の前で張り込みをした。下京区の古い町家。入り口には大きく「目川探偵」や「機動調査」と書かれた看板が掲げられ、夜にはパトカーのような赤いライトが点灯していた。残念ながら、出入りする本人を確認することはできなかった。

 令和になった今も探偵局は活動を続けているのだろうか。

 その場所を訪れた。

 しかし、派手な看板もライトもない。どうやら、すでに廃業しているようだ。確かに、あの新聞広告も見なくなって久しい。調べると2013年発行のタウンページを最後に目川探偵の電話番号は消えていた。

 目川氏は「目川探偵の事件簿」という自伝的な著書を出していた。著者名は「目川重治」。例によって表紙には大きく「本人」写真。出版は95年だ。副題には「京都の秘密調査報告書」とある。帯にはこんな文句が書かれていた。

 <一見、柔和な顔立ちだが、その真理を追及する触覚と嗅覚は右に出るものはいない。相手がたとえ国家権力であろうと、極道であろうと、あるいは、うら若き女であろうと、一度睨(にら)めばとことん追い詰める。あっぱれ! 目川探偵登場!!>

 著書によると、目川探偵の看板は58年6月に掲げられたと書かれている。「事件簿」と言うだけあって、のっけから驚きの「事実」が書かれていた。

 <この本を出版するにあたって、我が社の顧客名簿をざっと調べたのですが、ここで自らも忘れていた衝撃的な事実に出会ったのです。あの麻原彰晃が顧客にいたのです‼>

 そこから始まる目川氏の回想によれば、77年頃に22歳の「松本智津夫」が宗教ジャーナリストを名乗って訪れ、天理教の内部組織などの調査を依頼してきた。目川氏は10万円以上掛かると告げると、松本氏は手持ちが2万円しかないことと目が不自由であることも理由に泣きついた。根負けした目川氏は依頼に応じた。

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