「何でもかんでも書きやがって」 ノムさんがぼやきを封印した日 

佐藤 利幸 佐藤 利幸

 広報が運んでくれたコーヒーを受け取ったノムさん、話に夢中になりすぎて一口もつけず、コーヒーがホットからアイスになるのもざらだった。

 とにかく話し好き。キャンプともなればベンチに座って朝から夕方まで担当記者相手に話が止まらない。記事になるような面白いことを言うもんだから、こちらはその場を離れられない。

 多岐にわたる話を聞く上で、野球の知識に加え、歴史や国語力も必要、そして長時間話を聞くという忍耐力が何より必要だった。

 翌日の朝刊にはノムさんの話の中から厳選した内容が載ることになる。決まって「ノムさんがぼやいた」と見出しがおどる。それを見て「なあ、ぼやきとは書かないでくれ。イメージが悪い。せめて蟹の念仏にしてくれ」と、またぼやかれる。

 ぼそぼそと、それでいて舌鋒鋭い話しぶりはまさにぼやきであり、ノムさんの代名詞として書かないわけにはいかない。

 それはまだ良かったが、話した内容がすべて翌日の紙面に載ることから「何でもかんでも書きやがって」と捨てゼリフを残して1カ月ほど一切話をしなくなったことがある。

 元来おしゃべり好きのノムさんはその間ずっと無口。これでかなりのストレスを溜め込んでいたようで、ついにはこう言って自らぼやきを解禁した。「年齢的にあっちのほうがもうだめ。だから話をすることぐらいしか楽しみがないんや。その楽しみを奪うな」。しゃべるけど新聞に書くときは忖度しろ、という意味だった。ヤクルト担当でまだ20代だった記者は笑って聞き流していたが、当時のノムさんの年齢に近づき、気持ちが分かるようになった。

 1993年デイリースポーツのヤクルト担当としてリーグ連覇と日本一。2000、2001年は阪神担当として3年連続最下位。野村監督の天国と地獄の両方を見た。結果は両極端でも「野球は頭でするもの」という考えを両球団に植え付けたのは確かである。

 一番の話し相手だった妻に先立たれて2年弱、さぞかし寂しかったことでしょう。天国では、沙知代さん相手に思い切りおしゃべりを楽しんでください。

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