「男はつらいよ」の源ちゃん・佐藤蛾次郎が明かす「寅さんカレーと渥美清さん」の真実

北村 泰介 北村 泰介

 料理には人の記憶をよみがえらせる力がある。年の瀬に公開された「男はつらいよ」50作目の新作映画「お帰り 寅さん」。同シリーズの撮影現場には、柴又題経寺の寺男・源吉(愛称・源ちゃん)として1969年の第1作からレギュラー出演した俳優・佐藤蛾次郎お手製のカレーがあった。75歳の今も役者を続けながら、東京・銀座でパブ「蛾次ママ」を営む佐藤。同店のメニューとなった「寅さんカレー」に込めた思いを当サイトに明かした。

 記者はこれまで何度も食べてきたが、食べる度に新しい発見がある。サラサラしたルーには具がない。食材が全て溶けているのだ。まさに「カレーは飲み物」という概念を具現化した一品だが、味は深く、コクがある。複雑かつ繊細な味の重なりを感じながら、飲酒後の体にスーッと入って五臓六腑に染み渡る。秘伝のレシピを改めて佐藤に尋ねた。

 「薬膳、いろいろ入ってます。クコの実、朝鮮人参、タツノオトシゴのエキス…。野菜はニンジン、タマネギ、セロリをミキサーにかけて入れる。油は使わない。鳥ミンチから出るものだけ」

 カレーを作って40年。佐藤は回顧する。「うちで作って松竹の大船撮影所に運んで、ズンドウ鍋で温めた。食堂のご飯を、うちから持ってきた銀の器に盛って、(さくら役の)倍賞千恵子さんが『ハイッ!』ってルーかけてくれて。ぜいたくなカレーやで(笑)」

 主役の車寅次郎を演じた渥美清さんもカレーを楽しみにしていた。佐藤は「渥美さん、撮影中は控室で横になっていることが多かったけど、『きょうカレーですよ』と声かけたら、『おう、それは楽しみだな』って、うれしそうな顔してね」と懐かしむ。渥美さん生前最後の作となった1995年公開「寅次郎紅の花」撮影中のカレーを巡る出来事は忘れられない。

 「渥美さん、いつも半分くらいしか食べなかったのに、最後の作品では『L(サイズ)ください』って大盛りを食べてくれて、『蛾次郎、ありがとう。おいしかったよ』って。大船撮影所で。それが、渥美さんから生で聞いた最後の言葉になりました」。それまでの「S」から「L」にサイズ変更した渥美さん。病と闘う中で「最後のカレー」と悟っていたのだろうか。今となっては想像するしかないが、そんなことを、ふと思った。

 山田洋二監督も「蛾次郎が作ったカレー」を愛した一人。「男は~」以外の作品でも、山田組の現場には佐藤からカレーが届けられた。「坂本龍一さんも食べてくれたらしい。音楽を担当した山田作品(15年公開「母と暮らせば」)の編集現場に来られた時、監督に勧められて。坂本さん、『おいしいですね』って喜ばれたと」(佐藤)。もちろん新作の現場でも。初めて食べた新しいスタッフが2~3杯おかわりしたという。

 43年間連れ添った妻の元女優、和子さんが16年に亡くなって3年。長男で俳優の佐藤亮太に店を任せたが、今も「週5回くらい」は出勤し、語り、歌う。カレーは店内で調理して冷凍。最低20日間は寝かす。40日熟成の絶品を食べながら新作の感想を佐藤に聞いた。

 「泣けるね。やっぱり、渥美さんが出て来るだけで。ああ、寅さん…ってなる。俺は一緒にいただけに余計にね。また、倍賞さんがきれいだね。マドンナはいっぱいいたけど、一番いいのは倍賞千恵子。俺、そう思ったもん。寅はやっぱりさくらが好きなんだ。だから柴又に帰ってくる。ふるさとだから」

 シリーズ50作中、佐藤は唯一出演できなかった第8作「寅次郎恋歌」の逸話も語った。外車の助手席に乗って時速100キロでガードレールに激突、重傷を負ったのだ。「ぶつかる瞬間はスローモーション。ドン!ときたら、あとは意識がない。肋骨に5本ヒビが入った。あんな痛いのは生まれて初めて。この痛さが止まるのなら、死んでもいいと思ってたら、渥美さん、飛んで来た。『大丈夫か?』って。大丈夫やないって!(笑)」

 渥美さんの思い出は尽きない。そして、そこにカレーがあった。

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