観光客と買い物客でにぎわう港町・神戸の元町商店街から一筋南に入った通りに店を構えるのが、カレーとビーフシチューの専門店「Sion」だ。木製の扉の先には、落ち着いた雰囲気のカウンター席と小上がり席。「洋食屋さんと勘違いして入ってくるお客さんもいますね」。そう笑うのは、オーナーの一枝淳治さん(50)。父は阪神や中日でコーチ業を歴任し、1985年に阪神を日本一に導いた野球解説者の一枝修平氏(77)だ。
「旧オリエンタルホテル出身のシェフたちが作る神戸伝統の洋食カレーとビーフシチューの店」とうたう通り、看板メニューは往年の味を再現したというカレー。タマネギの甘みと酸味の後に、少しだけスパイスの利いた辛みが広がる。毎日4時間以上煮込み、そして1日ねかせる。夕方以降は仕込みに時間をかけるため、平日はランチ営業のみだ。
「子どもの頃、食べに連れて行ってもらった味を守り、伝えていきたい」という思いから、2013年3月にオープン。阪神・淡路大震災で被災、解体された同ホテル出身のシェフを集め、試行錯誤を重ねて、納得の味にたどり着いた。「作っては“アカン”と怒られ、作っては“アカン”と怒られました」。今ではカレーの仕込みを1人で行うが、5人のシェフたちに認められるまでには丸3年かかったという。
「一枝修平の息子」-。中学、高校、大学と当然のように野球に打ち込んだ一枝さんには、常にこの“肩書”がまとわりついた。「名前も覚えてもらえないなんです。“息子や”と…。それがストレスで…でも決して逃れられないというね…」。大学時代に右肩のけがもあって、野球はあきらめたが、社会人になってからも「いつか親父を超えたろう」と仕事に打ち込んだ。不動産会社や実家であるホテル一栄(大阪市)での仕事などを経て、飲食業界へ。気づけば、今はなきカレーの味を伝えることに必死だった。
オープンから5年。今ではランチ時に行列ができるほどの人気店へと成長させた。大阪などへの出店の誘いもあるが、伝統の味が変わるのを嫌い、断り続けている。今春にはレトルト商品の販売を開始したものの、全て店内で仕込んだカレーを袋詰めにしたものだ。
うれしいことがあった。「『あの人のお父さん、実は一枝修平らしいで』って、いう感じに言われるようになってきて。やっと、認められてきたんかなって。オヤジとも仲良くできてますよ」と一枝さん。「まあ、でもオヤジは食べに来たことはないんですけどね」。そう笑うと、次の日のカレーを仕込みに鍋へと向かった。