奈良一番の名所といえば今も昔も変わらぬのが、東大寺の大仏さま(盧舎那仏)だ。その大仏造立の詔を出したのは、正倉院の宝物などで知られる聖武天皇(701-756)。しかし、資金や人集めなど実質的な責任者である「勧進」を務めたのが僧の行基(ぎょうき、668-749)だったということは、奈良市民はともかく全国的にはあまり知られていないのではないだろうか。そんな行基を広く知ってもらおうと、生誕1351年を祝う「行基さん大感謝祭」が、10月26日に奈良公園内春日大社参道横の「飛火野(とびひの)」で開催される。
「行基さん大感謝祭」は今年で2回目。生誕1350年の昨年、行基終焉の地である喜光寺(奈良市菅原町)の副住職だった高次喜勝氏(現・薬師寺伽藍副主事)が中心となり、行基にゆかりのある自治体や関係団体に呼び掛けて実現した。昨年と同様、今年も行基ゆかりの食べ物を集めた飲食ブースや、当時最先端の技術を駆使して橋や池や大仏をつくった行基にちなみ、土木や鋳造(ちゅうぞう)などの体験ブースが開設される。15時30分からは、この日特別に喜光寺から持ち出された行基像と一緒に、東大寺大仏殿へ参詣する大行進も行われる予定。
行基が大仏造立を任されたのは、現代でも高齢といえる76歳のとき。今の大阪府堺市で生まれた行基の前半生は不明な点が多いが、40代後半以降は民衆とともに溜め池や橋を造り、困窮者のための施設を建てるなど、今でいうインフラ整備や福祉事業を民間の力で推し進めた。
当時禁じられていた庶民への仏教布教にも力を入れたため、行基を慕う人が急増。影響力を恐れた朝廷は、行基を「あやしい言葉で民衆を惑わせる小僧だ」と非難し、たびたび弾圧した。そんな中、1万人ともいわれる人たちを集めて大集会を行ったのが、「行基さん大感謝祭」が行われる飛火野の地なのだ。のちに朝廷が弾圧をやめ、行基を国家の一大プロジェクトである大仏造立の勧進職に抜擢して大僧正という僧侶の最高位まで与えたのは、行基の力がそれだけ無視できないものになっていた証ともいえるだろう。
今年は大感謝祭と同じ26日から、行基に大仏造立を命じた聖武天皇ゆかりの品を集めた「正倉院展」が開催される。奈良時代は、正倉院宝物に代表される華やかな天平文化が花開く一方で、疫病の大流行や天災が続き権力争いも激化、租庸調など税の負担に人々があえぐ苦難の時代だった。激動の世の中で、身分に関わりなく人々を救済しようとした行基。奈良国立博物館仏教美術資料研究センターでは、民衆とともに生きた行基の実像に迫るシンポジウムも同時開催される。
飛火野での「行基さん大感謝祭」は11時から17時まで、奈良国立博物館仏教美術資料研究センターでのシンポジウム「行基集団を支えたもの」は10時30分から12時30分(先着130名)、いずれも入場無料(一部体験は有料)。雨天決行・荒天中止。