83年前に30歳で遭難死した登山家・加藤文太郎の生涯を描いた舞台「山の声 ある登山者の追想」が故郷の兵庫・浜坂で11月に上演される。東京を拠点とする劇団「温泉ドラゴン」の番外公演として、10月25日からの都内での上演後に地元凱旋を果たす。演出のシライケイタ(45)と加藤を演じる地元出身の俳優・阪本篤(41)に思いを聞いた。
加藤は1905年に浜坂で生まれ、14歳で神戸の三菱内燃機関製作所(現・三菱重工神戸造船所)に入社。働きながら単独登山を続け「社会人登山家の先駆者」と称された。36年に槍ヶ岳で猛吹雪に遭って死去。その生涯は新田次郎の小説「孤高の人」(69年刊)で描かれた。同じ但馬地方の出身である登山家・植村直己も影響を受けたという。
加藤と共に槍ヶ岳に登った後輩の岳友・吉田登美久による二人芝居。シライにとって2012年から5回目の上演だ。役者と演出家を兼ねて3回。今回、演出に専念するシライは「戯曲として芯が太い。最後は槍ヶ岳を登るシーンになるが、役者2人が仁王立ちで言葉の限りを尽くし、腹筋が痛くなって声が出なくなるくらいのしんどさがある。言葉と格闘する俳優の姿と作家の言葉の美しさ。そこに演劇の原点がある」と魅力を語る。
作者の大竹野正典は大阪を拠点にした演劇人で、2009年に海難事故で急逝。48歳、同作が遺作となった。阪本は「小説版では超人的に書かれているが、大竹野さんが元にしたのは加藤さんの『単独行』という手記。悩んだり喜んだり、人間臭く描かれている」という。
シライは「吉田さんが加藤さんを誘ったということで悪者にされたようですが、加藤さんの手記では『一人はさみしい』『吉田君と一緒に登れてうれしい』と書いてあり、そこを大竹野さんは拾い上げて2人の物語にした。人間的な普通の男である新しい加藤文太郎像がある。先に吉田さんが亡くなり、少し離れた所で加藤さんが亡くなったことが後の実況見分で分かる。そこから発想し、吉田さんの亡霊と加藤さんが話している劇構造になっている」と見所を明かした。
阪本は12年の公演を見た際、郷里の地名に心を撃たれた。「地域の出身である自分が関西の言葉でやりたいと思った。加藤さんは15歳まで浜坂にいて神戸に出た。僕も地元にいたのは15歳まで。そこから奈良に行き、兵庫の姫路に戻って、20代前半で上京した。加藤さんは神戸の職場から実家に帰る時は神戸港から六甲山を超えて浜坂港まで歩いたという。そのコースを縦走するという大会も開かれているそうです」。27日には地元で「加藤文太郎 浜坂三山縦走大会」が行われる。加藤は今も名を残す。
舞台は浜坂へ。きっかけは18年1月の公演DVDが加藤文太郎記念図書館で展示物になったこと。新温泉町から「開館25周年記念で」とオファーを受けて決まった。25日から27日まで東京・新宿ゴールデン街劇場での公演を経て、11月16日に浜坂先人記念館「以命亭」で昼夜公演(入場無料、予約制)。それに先駆け、14日には阪本の母校である夢が丘中学、15日に浜坂中学でも公演する。
阪本は「地元に実在した人を子供たちの前で演じるのは意義のあること。夢が丘中学は、僕がいた時は市町村合併前で温泉中学。温泉保育園、温泉幼稚園、温泉小学校、温泉中学ときて、温泉高校には行かなかったんですが、大人になって東京にいても温泉ドラゴンという劇団にいる。宿命ですね」と笑った。
シライは「サラリーマン登山家とサラリーマン演劇人、どちらも若くして事故で亡くなった加藤さんと大竹野さんが重なる。大竹野さんの没後10年と加藤さん記念館の開館25周年。2人の魂に導かれた公演です」と意欲を示した。
=文中敬称略=