大河ドラマ「真田丸」の放映終了から2年以上が経つが、舞台となった長野県上田市ではいまなお盛り上がりが続いている。14日には同市で国際忍者学会第3回が開催され、平山優氏(「真田丸」時代考証)ら複数の学者から研究発表があった。
忍者というと普通、伊賀や甲賀を思い浮かべるが、長野県や群馬県にも忍者が実在していたのである。群馬県中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の山口通喜館長(58)によると、真田忍者は12人だったという。猿飛佐助のモデルとされる横谷左近は、犬伏の別れから上田までの真田昌幸・信繁の親子を無事帰還させ、九度山から大坂の陣にも参戦している。横谷左近の末裔で、同市内で紳士服店を経営している横谷重則氏(60)の家には、猿の装飾がなされた刀のツバが代々受け継がれている。
また、修験者(山伏)の姿に身を変え薬学に精通した、禰津潜龍斎の末裔が住む岩櫃城麓の自宅敷地内には、自生ではない多くの薬草が現在でも生えている。他にも群馬県沼田市で歯科医を営む割田下総の末裔や、同県中之条町の唐沢玄蕃の末裔(78)宅からは、忍者では珍しい位牌も発見された。
山口館長によると、かつて忍びだった家には、他言無用の言い伝えが残っているとのこと。たとえば、祖先が江戸時代に大道芸人をしていた、煙管を使って敵を倒す方法を伝授された等々、驚くべき話が数多くあった。
多くのベールに包まれた真田忍者が、国立三重大学を中心にした国際忍者学会により、解明されてきた。これらの貴重な取材の結果は、山田雄司三重大学教授監修のもと「真田忍者の末裔」という書籍タイトルで、Amazonなどで発売中。400年の時を越えて真田信繁末裔と忍者の末裔が再会を果たす、真田家が戦国時代の乱世を生き抜けたのは、行者(山伏)のトップを任命し全国の正確な情報を握っていたからとする、山家神社宮司のインタビューなど、興味深い話題が満載だ。