童謡でおなじみのセルロイド人形 実はアメリカではなく葛飾生まれ!?

年季の入ったセルロイド人形(goldpix/stock.adobe.com)
年季の入ったセルロイド人形(goldpix/stock.adobe.com)

 大正12年に作詞・野口雨情、作曲・本居長世のコンビが世に送り出した童謡「青い眼の人形」。歌い出しの「♪青い眼をした お人形は アメリカ生まれのセルロイド」の部分はあまりにも有名だが、意外にもセルロイド人形は「アメリカ生まれ」ではなく“東京葛飾生まれ”だという。いったいどういうことだろうか?「葛飾区郷土と天文の博物館」の堀充宏学芸員にいろいろと聞いてみた。

セルロイド人形発祥の地は…

 太平洋戦争の終戦時、遊び道具のなかった日本の子どもたちにアメリカから「青い目をした人形」が贈られている。この史実と童謡の歌詞が結びつき「セルロイド人形=アメリカ生まれ」のイメージが定着したが、堀さんによると当時のアメリカで作られていた人形は「セルロイドでなく、コンポジションドールと言って、泥を固めてそれを色づけしたものだった」という。

 では、肝心のセルロイド人形はどこで作られていたのか?さらに質問したところ「当時のおもちゃ先進国のドイツほか、フランス、日本など数少ない国で生産されていた」とのことだ。

 実は、東京・葛飾の東立石にある渋江公園には「セルロイド工業発祥記念碑」という石碑が建てられている。「厳密に言うと葛飾はセルロイドの発祥地ではない」そうだが、「多くのセルロイド工場があったのは確か」という。実際、昔は従業員250人の大規模なセルロイド工場が存在し、その背景にあったのが「第一次世界大戦」だったそうだ。

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