消えゆくランプの「灯り」を守る、日本唯一の女性ランプ職人が、アラジンのランプを製作

Lmaga.jpニュース Lmaga.jpニュース

 

 町工場が建ち並ぶ大阪府八尾市に、大正13年(1924年)から続くハリケーンランプの会社「WINGED WHEEL(ウィングドウィール)」がある。その代表をつとめるのは、日本で唯一のランプ職人・別所由加さん。そんな由加さんが、実写映画『アラジン』の公開にちなんだオリジナルランプを製作した。

 映画館で展示されるこのアラジンランプ。由加さんはデザインから型起こし、塗装まで、そのすべてのプロデュースを手がけた。1枚の銅板からランプの原型となる形に起こすのは熟年の職人である倉田さん。そして、ランプの塗装は大正5年創業の「吉田着色」が担当する。

 ランプの塗装をおこなうのは、同社代表の吉田忠司さん。真鍮の粉末にレジンを混ぜたものを吹き付けて乾かし、磨いていくという作業。手際が良く、無駄な動きのない職人の仕事を、由加さんはただひたすら見守りつづける。

「仕上がりを見たら、もうほかのものとは全然違う。数年前、とにかく技術第一で吉田さんに初めてお願いした。受けてもらえるかドキドキしていて、承諾いただけたときはホントにうれしかった。イメージを形にしてくれる技術と提案力には、毎回頭が下がります」と由加さん。

 そして吉田さんは、「実は以前、テレビで別所さんを見たことがあって。むちゃくちゃかっこよくて、いつか一緒に仕事をしたい と思っていた。そんな矢先、本人からの塗装依頼があって。夢にも思わない幸運だった。彼女も真の職人、決して妥協をしないタイプ。だから、僕も別所さんと一緒に最高のものをつくりたいと突き動かされる」と話す。

 完成したアラジンランプは、いかにもジーニーが入っているような膨らみのある胴体にランプの口先は青いグラデーションがかかっている。このアラジンランプは映画館「大阪ステーションシティシネマ」(大阪市北区)で6月10日まで展示されており、13日からは「MOVIX八尾」(大阪府八尾市)に移されるという。

 だが、職人としてやってきた由加さんの道のりは、決して順風満帆ではなかった。オイルランプの1種で、嵐のなかでも炎が消えないところからその名前が付けられたハリケーンランプ。国産ランプは、由加さんの曽祖父・留吉さんが開発し、国内だけでなく、世界中に輸出されるようになった。1955年にベトナム戦争が勃発すると、ハリケーンランプの需要が高まり、1日あたりの生産台数2000台と工場がフル稼働。1975年の終戦まで、好景気が続いたが、2003年に事実上の倒産となる。

 その3年後、由加さんの母・二三子さんが別会社を立ち上げ、なんとか危機を乗り越える。由加さんは「当時は夜逃げ同然に家を出て、すべてを失った。そのとき、私は小学校6年生だった。母はなぜ倒産することになったのかすべて説明してくれた。そこから立て直していく母の姿、会社の現実をずっと見てきた経験があるから今、精神的に強くなれたと思う」と振りかえる。

 2007年、二三子さんの努力が実を結び、「株式会社WINGED WHEEL」を設立。しかし2011年、二三子さんが頼りにしていた職人さんが亡くなってしまう。当時、音楽に夢中だった由加さんは芸大に進学、大学生活を謳歌していた。

「なぜか、ランプがなくなることは絶対にアカンと思ったんです。だから、私が家業を継ごうと。でも母は猛反対! 指の切断事故に遭った職人さんを何人も見てきているから、女の子がケガをしてほしくなかった。ただ、私が1度決めたらむちゃくちゃ頑固なことは知っているので、最後は入社させてもらえた(笑)」(由加さん)大学を中退して職人の世界に飛び込んだ由加さんだが、すぐさまその世界の厳しさを知ることになる。「見て覚えろ、体で覚えろ」という昔気質の職人たちにまったく相手にされなかったのだ。

 由加さんは「最初は無視されてばかり。そりゃそうですよね。当時は金髪のオネエちゃんでしたから(笑)。まずは化粧をやめて、作業着を着て、私の本気を知ってもらった。それでぶつかっていったら、だんだん受け入れてくれるようになって。仕事を教えてくれた瞬間はホントにうれしかった」と、当時を振りかえる。

 若手職人としてスタートした由加さんだが、仕事を覚えるにつれ想像を絶する苦難が続いた。ランプ自体、数百個の金型やプレス機を使って、すべて手作業でパーツを作り上げ、それを組み立てて完成させる。その機械の不具合が相次いだのだ。

「機械は新しく買い替えるのでなく、苦労しても先代から受け継がれた機械を継承するのが私にとって大切なこと。でも、うちの機械は『人』で『機嫌』がある。動かなかったり、誤作動したり。毎日、データを細かく取って格闘して数年、やっと仲良くなれました」(由加さん)

 そして、由加さんは2013年に、代表取締役に就任。2016年には自社ブランド「FLAME SENSE」を立ち上げ、ランプ製作、販売促進と忙しい日々を送る。そんななか、由加さんが「工場長」と呼んで慕っていた職人の杉中さんが亡くなった。

「死ぬ直前まで、ホントに根気よく技術を教えてくれた。今思うと、大学を中退しないと間に合わなかった。パーツのひとつひとつにすごく苦労したことを思い出します。ハリケーンランプの作成はとても手間のかかる仕事だけど、プライドを持っている。だから、できあがったときは本当に報われるし、美しいと思う」(由加さん)。いち職人に育った由加さんにとって、ハリケーンランプ完成の瞬間はいつでも、先代が守り続けてきたあらゆるものの継承を実感できるときだと言う。

「宝のなかから発見された古いランプが、こすられることで生気を取り戻し蘇る。ジーニーが今にも出てくるような様子を表現すれば、物語の始まりをこのランプひとつで想像できると思い、このデザインに決めた」と由加さん。依頼者も「感無量でとても満足です。別所さんに依頼して本当に良かったです」と感謝、由加さんの顔に安堵の表情が浮かんだ。

「やっぱりランプの光って、あたたかくて大好き。機械とも仲良くなって、やっとスタート地点に立てた。多くの人にこのあたたかな灯を届けられるよう、厚かましい夢だけど、一時は世界シェアにあった別所ランプの輝きを取り戻したい。海外の人たちにも愛されるランプとして会社を大きくし、WINGED WHEELを継承していってくれる人を育てたい」と、由加さんは将来の夢を語った。

(Lmaga.jpニュース・岡田由佳子)

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース