「いい商品を作ることが何よりの正義だと…」命を削るような日々で、町工場の社長が残した“最後”の言葉

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 コロナ禍の荒波に飲まれ、人知れず閉鎖していく町工場が多くあります。2022年9月、ついに工場閉鎖という苦渋の決断をした山梨県のシルク織物の職人Sさんは、Facebookにこれまでの思いをつづりました。Sさんと10年以上の取引を続けてきた、株式会社笏本縫製の代表・笏本さん(@shakunone)がSさんの言葉をTwitterで紹介し、話題となりました。

 現在50代のSさんは、職人として、そして工場の経営者としての30年間のうち、大半が「命を削る」ような日々だったといいます。生き残りをかけて設備を整え、多品種小ロットの生産を可能にしたものの、時代の急速な変化に直面。クールビス、リーマンショック、中国製の低コスト製品に変わっていくなかで、追い打ちをかけるように物価の高騰。平成7年の工場増築・織機の導入から現在まで、投資額は3億を超えていたといいます。

 銀行との話し合いを何度も重ねながら立て直す、経営計画・返済計画。頭の中の半分は、「いかに借金を返済するか」。とにかく一人でなんとかしようと工場スタッフ全員を解雇し、もがく日々の中で「最悪の終わり方」まで覚悟していたSさん。しかし息の根を止めるようにやってきたコロナで、最終的に心が折れ、働く意味がまるでわからなくなった、と語ります。

以下、SさんがFacebookにつづった言葉を一部抜粋します。

◇ ◇ ◇

いい商品を作ることが何よりの正義だと証明したかった職人人生。すべては自分の判断や決断の結果で自業自得だ。 変化に対応できず時代に淘汰されだけだ。そう言われればそれまでのこと。ぐうの音も出ないし、そのとおりだと思う。工場を畳むという、死ぬよりも辛い決断をしている職人たちがいる。

私と同じか、それ以上にもがいてる人たちがいる。まだまだ日本には1度失うと2度と取り戻せない技術や、繋いでいくべきクリエイティブがある。無念の想いで諦めていく人たちもいるけれど、その人たちが努力をしていなかったのかと言うと絶対にそんなことはない。きっと不器用ながらに血のションベンが出るような努力をしてきた人たちもいたはずだ。会社が廃業するとか、倒産するなど、苦しい中でもどこか他人事のように感じていたのかもしれない。

でも、自分事になって初めてて気づいた。こうやって多くの日本のモノづくりは失われていくのだ。だから、これでもかと精一杯の力で戦ってる人たちに、 私は簡単に努力不足だとは言いたくない。もし業界の一部の人間の気分や、無茶な買い叩きで失われるクリエイティブがあるのなら、それは絶対にあってはいけない。

まあ、偏屈で小難しい俺だけど、それでも、ここまで仕事を続けてこられたのは、たぶんこの仕事が好きだったことと、仕入れ先さんや顧客に恵まれていたことが大きい。よく考えてみれば幸せなことだ。特に最後の最後だと覚悟したこの1年は自分のカッコイイと感じるデザインが広告に採用されたり、旧縁の仲間たちから励ましの声をもらえたり。 クリエイターとして嬉しいことが多かった。

でも、金がないと続けられない現実。理不尽な値下げを要求されたり、 急にハシゴを外されて怒りに震えるような時もあった。反省なんて数えきれないほどあるし、いまだに許せないようなことだって山ほどある。それでも後悔など微塵もないから不思議なものだ。

ここまで色々な方々が応援してくれたし、自分が目指したもの、 見た夢は正しかったと思っている。

最後はそれだけで十分。
どうもありがとう。

◇ ◇ ◇

 リプライでは、同じく代々続いてきた家業を終わらせた経験、苦しみを背負う方からの共感の声が多く集まりました。Sさんに、工場閉鎖までの経歴と思いを聞きました。

「大学を出て、当時の大手ネクタイメーカーに入りました。そこで修行をし、父親が経営する機屋に3代目として入った次第です。創業75年で幕を閉じました。最盛期は14人ほどで機織りをしていましたが、10年ほど前に工場長と2人になり、ここ数年は私1人でした。今回の廃業は、資金難を乗り越えきれずに、やることを全てやって、未練はあれど、後悔はないことを確認して、自らの時間を振り返ったとき、終わりにする決心が付きました。思えば一番精神的に辛かったころの記憶はかなり曖昧になっていますが、生きてきた軌跡として最後の言葉を書きました。苦しい思い出は忘れても、残された生地たちにはたくさんの良い思い出があるのもまた事実。そんなことを思っています。熱量を作る人と売る人が共有して、職人が使い捨てにならないモノづくりの日本を作ってほしいです。」

 笏本さんは、Sさんの言葉とあわせて「死ぬよりツラい選択。命をかけた職人の最後の言葉。この文章をどんな想いで綴ったのか。人知れず消えていく町工場が山ほどあるんだ。お願いだから、他人事と思わず1人でも多くの人に読んでほしい。悔しい決断を余儀なくされた経緯を。戦いを。僕は絶対に忘れない。」とツイート。

「正直、書き殴った文章に心を打たれました。すぐにSさんに電話し、『この言葉は絶対に世の中に届けないといけません!」と伝えました。Twitterへの掲載許可をいただき、さらに電話で会話しながら、本人からの溢れる想いと情報を整理して、発信をさせていただきました。結果的にたくさんの方からコメントやリツイートをいただいており、それはSさんにも伝えています」と笏本さん。

 ネクタイ縫製会社である株式会社笏本縫製は、自社ブランド製品とOEM製品の両方を手がけます。3代目として奮闘する笏本さんに、ツイートした思いを聞きました。 

――閉鎖されたシルク織物工場の職人Sさんとのお付き合いの状況を教えてください。

Sさんとは10年ほど前からのお付き合いではありましたが、うちが2015年にネクタイの自社ブランド「SHAKUNONE(笏の音)」を立ち上げるときに真っ先に力を貸してくれ、さらに深い関係性になっていきました。閉鎖の寸前までお付き合い、お取引をさせていただいていました。できることは少なかったですが、最後の最後まで一緒にやっていたいと思っていました。

私たちのようなモノづくりの現場にいる職人は、いつもは業界の黒子として表舞台に出ることはありません。裏方の美学という考え方もあるのかもしれませんが、それでは生き残っていけないと考えていました。その中で立ち上げようとしたブランド。でも、無名の町工場のイチ職人がブランドを作ろうとすると「どうせ無理」「裏方が表に出てもできることなんてない」「時間の無駄」と取り合ってくれませんでした。でも、Sさんに話をしたところ、話を黙って聞いてくれたあと、一言「やろう」と言ってくれたんです。そこから、様々なクリエイティブについて相談をして、コミュニケーションを取っていきました。「必ず大きくなって、バンバン発注できるように頑張ります」と約束をしましたが、間に合わなかったことがとても悔しいです。

この工場さん、Sさんの強みは、デザインセンスと小回りの利く多品種小ロット生産でした。よく単純作業やモノづくりは機械化されて、人は必要なくなると言われますが、必ずしもそんなことはありません。特に糸、生地、縫製などの繊維産業は素材の特性を感覚で微調整をしたり、アナログな機器を経験で扱わなければならないような作業は山ほどあります。何十年後にはそれも解消されて機械に頼れるようになるのかもしれません。ただ、それまで持ちこたえられるのか?という、不安をもっています。

海外で生産するメリットも十分理解をしています。昔ほどに品質の差があったり、海外のモノが全く使えないなんてことはありません。ただ、やはり日本のモノづくりの品質は高いと思っています。それに、日本の感覚やセンスで作られる美しいクリエイティブはあると思います。また、大量生産にはない、国内の多品種小ロット生産は、その時に応じたタイムリーな生産ができることから、時代に即したモノづくりもできるのではないかと思っています。僕は日本の方にはやはり日本のものを好きになってほしいと思っていますし、「地産地消」という言葉があるように、「国産国消」という言葉があってもいいと思っています。

――コロナ禍における業界全体の打撃について、教えてください。

予定されていた発注の見送り。次回生産の未定が何カ月も続いた。消費も落ち込んで売り上げも激減。じわじわと高騰していた材料の仕入れ値もここ近年では爆増。エネルギーコストも上がっていく中、それでもなかなか上がらない納品単価。同業の一部では、仕事欲しさに赤字でも価格で下をくぐってくる血の争いすら起きている状況。仕事が途切れて工場が止まることの恐怖を知っているからこそ、間違っているのはわかっていても、気持ちはわかる。生き残る道がどんどん狭くなっていたのではないかと思います。

私たちも受注減やコスト上昇による売り上げの低迷で、崖っぷちに立たされていました。それでも「私の代で潰すから」と母から言われた縫製工場を何とかしたいと、あとを継ぐ決意をしました。子どもたちには背負わせたくないという親心もあったと思いますが、戦ってきた母親の姿をみてきたからこそ、その想いごと継ぎたいと思ったんです。そこで作ったのが自社ブランドです。小さな町工場のボロボロの事務所で「せっかくブランドを作るんだったら、いつか総理大臣に結んでもらえるような子に育てたいよね」と話したことを覚えています。何度も諦めようと思ったし、苦しいし悔しいこともありました。今回閉鎖された工場の職人Sさんにも相談したり、さまざまさなサポートを受けて言った中で、ご縁をいただき、総理大臣にネクタイを結んでもらうことができました。

諦めなければ夢が叶うわけではないかもしれませんが、諦めなかった人だけが夢を叶えるんだと思います。キレイごとは抜きにして、こうした現状を現場の力だけでは変えられないと思っています。これは諦めて投げ出しているわけではなく、あくまで小さな力では大きな岩は動かないという話です。だからこそ、こうしてTwitterやブログを使って現場の状況を発信して、まず1人でも多くの方に知っていただくことをしています。

小さな力で岩は動かない。だから、まずはこういった現実があることを知っていただき、そして何かできそうなことがあれば是非お願いしたいのです。例えばSNSのいいね1つにしても、フォローにしてもそうです。もう、この生地屋さんは復活できないかもしれません。ただ、こうした発信が奇跡すらも起こす可能性は0ではないと、かすかな希望は抱いています。

こうした内容を発信すると、一定数「職人は機械にとって代わられる」「淘汰は資本主義だ」と言われるのですが、それは十分にわかっています。それでも、まだまだ機械に頼れない仕事が現場にはたくさんあります。機械に頼るようになる前に、人の手がなくなって実現できるものもできなくなるのです。そういった現実も踏まえて、1人の職人として、1人の社長として、発信をさせていただきました。

キセキは簡単に起きないことは重々わかっていますが、日々の発信を続けることで自分たちの存在を知ってもらい、失われていく技術に何か小さなキセキが起きればいいなと心から願っています。

株式会社笏本縫製
所在地:岡山県津山市桑下1333-6
ネクタイブランド『SHAKUNONE(笏の音)』:https://shakumoto.co.jp
笏本さんのTwitterアカウント(@shakunone):https://twitter.com/shakunone/

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