妻の実家は350年続く老舗旅館 「たたむしかない」義父母の本音に広告営業マンの心は揺れた 城崎を愛する人たちの奮闘

クラブTVO編集部 クラブTVO編集部

国内外から人気の高い関西の温泉地「城崎温泉」。そんな城崎温泉の賑わいの背景には、地元で代々盛り上げてきた人たちはもちろん、地元以外からやってきた“伴侶”たちの奮闘がありました。

広告営業マンから350年続く老舗旅館の社長へ

話を伺ったのは「山本屋」社長で高宮浩之さんと女将の美奈さん。

二人は学生時代に知り合い、卒業後、浩之さんは東京で広告会社の営業マンとして働いていました。一方、「山本屋」の3姉妹の長女だった美奈さんは、京都の旅館に就職。その後結婚します。

美奈さんの実家「山本屋」は、江戸時代に創業し、350年以上続く老舗旅館。目の前には「城崎温泉」のシンボルである柳並木があり、外湯めぐりもしやすい好立地にあります。

そんなある日、「山本屋」に帰省した際に、「継いでくれる人がいないからたたむしかない」という妻の両親の本音を知った浩之さん。「300年も続くこの旅館をたたんでしまっていいのか」と悩んだ末に旅館を継ぐことを決意、1993年に城崎へ移住します。

ピンチを乗り越え、愛され続ける「城崎ビール」。誕生のきっかけは法律改正!

90年代当時は旅行代理店の「宿泊パックツアー」が主流で、城崎温泉でもツアー料金に合わせた部屋・食事を提供していました。他地域からやってきた浩之さんは、どこも似たようなプランになっていることに違和感を覚え、今後の旅館経営にはアピールとなる“個性”が必要だと考えました。

そこで浩之さんが注目したのは・・・「酒税法改正」。世間では「酒税法改正」に伴い小規模施設でもビールが作れるようになり「地ビール」がブームに。城崎温泉の年間観光客100万人という大きなマーケットで面白いものできるのではないかと、「城崎ビール」作りに挑戦することを決めたのです。

まずは「山本屋」の信用を武器に銀行から1億円を借り、アメリカで醸造設備を買い付け、駅前にビール工場を建設。アメリカでスカウトしたビール職人に日本に来てもらい、「城崎」の味を探求しました。「個性」と「万人受け」のバランスが大事な「地ビール」作りは、「地元の食材に合うビール」を目指して試行錯誤を続け、2年がかりで完成!

こだわりのビールは現在4種類。中でも、城崎名物のカニを美味しく食べるために味を調整した「カニビール」は、特にこだわって作ったのだそう。

さらにビールの完成に合わせてアメリカンスタイルの地ビールレストランも開店。観光客だけでなく、地元住民らも駆けつけるほどの賑わいを見せました。また、地元酒店にも商品を置いてもらい、「城崎ビール」の知名度をあげていきました。

順調に進んでいた「城崎ビール」事業ですが、思わぬピンチが訪れます。2004年豊岡地方を襲った台風23号により、城崎入口の川が氾濫。周辺の1万8000棟が浸水被害受け、ビール工場も例外でなく、社員が一時工場に取り残されるほどの大災害となり、機械の損傷も激しく、浩之さんはビール事業を諦めることを考えます。

しかし、取り残され救助された社員だけでなく、街の人たちからの「あれこそ城崎の名物や」と再開を期待する声が上がり、ビール事業の再開を決意!ブームだった「地ビール」が、20年経った今ではブームではなく「クラフトビール」という1つのジャンルとして確立するまでになりました!

今も観光客や地元住民から愛される「城崎ビール」を作った浩之さん。現在「城崎温泉観光協会長」や「かに王国 国王」を務めるほど、城崎温泉になくてはならない存在となっています。

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