44歳の長男を包丁で刺殺した元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)について、ジャーナリストの須田慎一郎氏が4日、デイリースポーツの取材に対し、仕事の上で接する機会の多かった同容疑者の素顔や、官僚として過ごした激動の時代背景からうかがえる生活ぶりを明かした。
須田氏にとって、熊沢容疑者は「2001年の小泉政権時代、農水省の事務次官として何度も取材させていただいた」という間柄だった。その人となりについて「非常におだやかな人。上から目線ではなく、取材をしても、噛んで含めるように、丁寧に教えてくださった」と証言した。
少なくとも、官僚としての対外的な姿勢は温厚で“いい人”だったという。長男と口論の末、包丁で10数回も刺したという報道を受け、須田氏は「激情に駆られて人を刺すとは思えない。よほどのことがあったのだなと思う」と推し量った。
農水省の事務方トップとして、熊沢容疑者が取り組んだ大きな仕事は2点あったという。須田氏は「農業の在り方を変えること」と「BSE(牛海綿状脳症)問題」を挙げた。
須田氏は前者について「小泉政権は郵政民営化だけでなく、農業改革にも非常に熱心に取り組んだ政権。『攻めの農業』を標榜し、農道や農業用水などを工事で作る『農業土木』という、年間1兆円近い事業の予算をカットした。当時、野中広務さんが仕切り、経世会の利権となっていた分野を削って、工事ではなく、品質のいい作物づくりという本来の分野を強化した。そうした経世会と小泉さんの清和会がぶつかり合った農業政策の中に熊澤容疑者はいたことになる」と解説した。
後者の「BSE問題」について、須田氏は「総理秘書官は財務省、外務省、経産省、警察庁からの出向が一般的だが、この当時は農水省から出向した。小泉政権の途中から経産省に戻ったが、この問題はそれだけ大きなテーマだった」とし、「何が言いたいかと言うと、熊沢容疑者がそれだけ仕事に忙殺され、家庭をかえりみることができなかったのではなかったか-ということです」と指摘。長男との因果関係は断定できないが、父親としてそうした環境にいたことになる。
熊沢容疑者は「大鉈(なた)を振るう仕事」の渦中で、BSE問題の責任を負って02年に事務次官を辞任。須田氏は「全体として誰かが責任を取らなければならなかった」と説明。一部で「(川崎殺傷事件のあった)今なら世間が自分に同情してくれると、情状面で有利だという考えをした可能性もある」というコメントもあったが、須田氏は「むしろ逆で、そうしたタイプではない」と、その性格から覚悟を決めた上での行動と推測した。