大阪・千日前で名物のハリハリ鍋を提供してきた「徳家」が25日の営業をもって、のれんを下ろす。悲願だった商業捕鯨が7月に再開されるというタイミングで一体なぜ、52年の歴史に別れを告げるのか?国内外で捕鯨の重要性を説き、大阪の鯨食文化を守り続けてきた名物女将、大西睦子さん(76)の決断。その本音に迫った。
クジラとともに歩んできた人生
またひとつ大阪の名店が消える。クジラ料理という大阪の食文化を継承してきた大西さんが、その日を前に万感の思いを口にした。
「いつかは、こんな日が来ると思っていました。さみしい気持ちもありますけど、安堵感もあるんですよ」
思い出の詰まった店内。話すうちに時折、瞳が潤んだ。それもそうだろう。1943年大阪に生まれた大西さんはクジラとともに人生を歩んできた。子どものころは学校の給食。「硬くて臭いもきつくて、あまりおいしいもんではなかった」
結婚してからはかつて母が営んでいた料理店を再興しようと最初はフグ料理店を思いつく。しかし、ライバルが多く、最終的には67年に相合橋筋にクジラ料理専門店「徳家」をオープンした。
特徴は薄口の出汁と高級部位の「尾の身」が入っているところ。講談社から出した世界初のクジラ料理本の中でも「尾の身だけはケチったらアカン」と母から言われた思い出をつづっている。
この7月から日本近海での「商業捕鯨」が再開されるのはご存じの通り。昨年12月に日本政府が国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を表明したことによるもので、クジラ漁の解禁は実に31年ぶりとなる。
捕鯨文化、大阪の鯨食文化を守ろうと、15回以上もIWC総会の現地に赴き、ロビー活動をしてきた大西さんにとっては、いわば悲願達成だった。しかし、皮肉なことに、それがのれんを下ろす気持ちにつながって行ったという。