阪神・淡路大震災で、神戸の本社は壊滅状態…想像を絶するフロアに、デイリー記者はぼう然

平成物語2

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95年1月、震災直後の神戸新聞会館…中江記者は言葉を失ったという
95年1月、震災直後の神戸新聞会館…中江記者は言葉を失ったという

 会館は窓ガラスが割れて、ブラインドがむき出しになっていた。既に立ち入り禁止のロープが張ってあったが、警察官に社員と告げて中に入った。薄暗い階段を上って、日が差し込む2階のデイリーフロアへ。私が一番最初だった。

 想像を絶する光景に息をのんだ。並んでいた机はぐちゃぐちゃ。ロッカーから資料があふれて散乱していた。足の踏み場を見つけることも困難だった。昨夜まで仕事をしていたフロアが世界のように変ぼうしていた。

 ぼう然としていると、電話が鳴った。芸能担当デスクからで「どうなっとるんや?」と聞かれたが「シャレになりません」と言うのが精いっぱい。「今から向かう」と電話は切れた。その後も何本かの電話に対応した。

 午後1時過ぎ、続々と社員が到着。誰も表情は厳しい。新人は黙って立っているしかなかった。整理部は神戸にしかない。ひとまず東京にある、日経新聞の木場印刷所で紙面を作ることが決定。整理部の何人かが、着の身着のまま伊丹空港へ向かった。

 残りの人は臨時の編集局を置くことになった神戸市郊外の西神印刷工場へ。先輩の車に乗り、渋滞の道路を進むと、長田区の方角から炎と煙が上がっているのが見えた。

 翌日の紙面は東京で制作したものだ。通常の約半分12ページの新聞。モノクロの1面で謳われた『助けて』の見出しは、われわれの思いとともに被災した人々の叫びだった。

 ちょうど24年が経った。新聞会館の跡には現在、ランドマークビルのミント神戸が建ち、多くの人でにぎわっている。(デイリースポーツ・中江 寿)

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