多くの若者が社会人のスタートを切った4月。ベトナム人のトラン・グエン・キム・タオさん(27)も神戸市内の病院で正看護師としての一歩を踏み出しました。日本で働く外国籍の看護師は増えていますが、日本語を母語としない外国籍の生徒の高校・大学進学率は日本人と比べ低迷しています。来日当時は全く日本語が話せず、家族や友人に反対されながらも難関を突破し、夢を実現させたタオさん。その裏には今年1月、腎盂がんのため65歳で亡くなった、夜間中学の恩師との絆がありました。
タオさんは10年前、先に来日していた父と兄に呼び寄せられ神戸へ。二つ下の弟とともに入学した市立丸山中学校西野分校で出会ったのが、生徒一人一人に寄り添う熱心な指導で「母」と慕われていた、教諭の草京子さんでした。
当初は「ベトナムで高校を卒業していたし、勤務先の靴工場も作業を覚えれば日本語は必要ない」と勉強には後ろ向きだったタオさん。「でも、言葉も文化も違う国で友人もいない。働くのすら初めてなのに、何かあれば『外国人だから』と責められるのでは-といつも不安だった」といいます。間もなく無理がたたって体調を崩し、養護教諭に付き添われようやく病院を受診しましたが「症状は説明できないし、お医者さんの質問の意図も全然分からなかった。すごく怖かった」。待合では日本の病院のシステムが分からず混乱する外国人もおり「看護師になれば、家族も他の外国人の患者も助けられる」と決意しました。
その思いを知った草さんは、人一倍厳しくタオさんを教えました。さらに「病院で患者と接するならもっと日本語を磨き、日本社会のルールにも詳しくなった方がいい。学費も貯めないと」と働きながら夜間高校へ通う道をアドバイス。読み書きはおろか、会話もたどたどしかったタオさんの日本語はぐんぐん上達し、高校では簿記1級や商業英語2級などの資格も次々と取得しました。草さんは国内の看護系大学や専門学校を片っ端から調べ、合いそうな学校を選ぶと、2人で勉強をスタート。高校の教諭には「昼間の普通高に通う日本人でも難しいのに」と反対され、家族もベトナム人の友人も「そこまで無理をしなくても」「できるわけない」と否定的でしたが、二人三脚での勉強は続きました。