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かつての「和紙の里」に残る「最後の1軒」はママが守る 「唯一無二のこだわり」継承へ修行中

京都新聞社 京都新聞社

京都府府北部で存続が危ぶまれる伝統産業や景観、技術、地域生活がある。それぞれの現場で、未来につなごうと奮闘する人々の物語をつむぐ。

大江山から吹き下ろす寒風が工房の窓を震わす。5代目の田中敏弘さん(64)が簀桁(すげた)を前後左右に揺らすと、水面に繊維の層が均一に広がり、徐々に厚みを増す。「父も母もいつまで一緒にできるか分からないから」。長女の大森良子さん(33)が、父の一挙一動を心に刻む。和紙の里の面影をたった1軒、家族3人がつなぐ。

古くは宮津藩の年貢として納められた大江の丹後二俣紙(丹後和紙)。明治期から昭和初期には200軒の工房が里にひしめいた。だが、高度経済成長の波は、労働力を都会にけしかけ、農閑期の副業だった和紙づくりの分業体制は崩壊。安価な西洋紙に追われ、昭和40年代には田中家を残すのみとなった。

全国を見渡しても今や手すき和紙業者は大小200軒を数えるばかりだ。

それでも田中家が守り続けるのは、土地に根ざした「唯一無二」のこだわりだ。コウゾの栽培から紙すきまで全工程を自らの手で行う。寒冷な気候が育む繊維はきめ細やかで、丹後和紙ならではのしなやかなさを生む。「この土地の楮(こうぞ)と水。昔ながらの製法を貫いてこそ、まねできない紙になる。それしか生き残る道はない」。父はそう信じてきた。

良子さんが家業に入ったのは5年前。父は持病の悪化で入院を迫られながらも、「納期に遅れる訳にはいかない」と、工房に立ち続けていた頃だった。

代々続いた役割分担は、長男が紙すきを継ぎ、女性は裏方仕事が慣例。2人きょうだいの良子さんも「弟が継ぐもんや」と自然と受け入れていた。だが、「長男だから」という周囲の圧力に反発して家を飛び出した経験のある父は、子を家業に縛ることはなかった。父と弟は病状についてのみ会話し、それ以上踏み込まなかった。

病を押して工房に立つ父の背中が、舞鶴市で会社勤めをしていた良子さんの心を揺さぶる。「父と母が守ってきた伝統や思いを絶やしたくない」。幼少期から当たり前だった営みが、途切れようとする現実は受け入れられなかった。夢に向かって進む弟には相談せず、決断した。不思議と葛藤はなかった。

ただ、現実は甘くはない。「紙すきを残したい」との思いが先行するが、見慣れた作業を実際にこなすのはまるで違う。事務職からの転身で体がついていかない。練りの効かせ方や繊維の均一さ-。細かな作業一つ一つを体に染みこませる。

そんな良子さんを新たな縁が支える。「丹後和紙を未来に残したい」と願う人々が、過酷なコウゾの刈り取りや下処理を手伝うようになった。そして、夫の理解、長女の誕生を機に生まれたママ起業家たちとの出会い…。

一子相伝にこだわらなかった父も「和紙で生きるのはいいことばかりじゃない。でも、娘には娘の縁やニーズがある。それを後押ししたい」と見守る。

昨春、良子さんは2歳になった長女を保育園に預け、SNSに「本格的な和紙づくりの修行に入ります」と、決意をつづった。

娘と離れる寂しさや伝統を担うプレッシャーはある。それでも両方を楽しめる環境にいる。

「何かを犠牲にしないと何かをやり遂げられない訳じゃない。丹後和紙を後世に繋ぐには、今が一番大切な時期。娘と新たなステージに挑戦したい」

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