2026年、中東の大国イランはかつてない激動の渦中にある。
昨年末から始まった抗議活動は、瞬く間に全土へと波及し、現体制を揺るがす深刻な反政府デモへと発展した。当局によるインターネット遮断や武力による制圧が続く中でも、人々の怒りが収まる気配はない。なぜ、これほどまでにデモは拡大し、国民は命の危険を冒してまで声を上げ続けるのか。その背景には、積み重なった複数の構造的要因が存在している。背景はいくつかあるだろうが、ここでは以下3つを紹介したい。
リヤル暴落が国民生活を直撃
第一の要因は、極限状態に達した経済的不満である。長年にわたる欧米の経済制裁に加え、近年のイスラエルとの軍事的緊張に伴う戦費の増大が、国家財政を破綻寸前にまで追い込んだ。
特に通貨リヤルの暴落は、国民の生活を直撃している。インフレ率は40%を超え、食料品や医薬品といった生活必需品の価格は跳ね上がった。国民の多くが苦しい生活を強いられる一方で、特権階級の腐敗は常態化している。昨日まで買えていたパンが今日は買えないという切実な飢えと絶望が、かつては政治に無関心だった層までも街頭へと駆り立てる強力な導火線となったと言える。
第二に、自由や人権を希求し、欧米の価値観に憧れる若者たちの存在が挙げられる。イランは人口の多くを30代以下が占める若い国である。彼らはデジタルネイティブ世代であり、当局の検閲をかいくぐってインターネットを通じて外の世界と繋がっている。
2022年のマフサ・アミニさんの死をきっかけとした「女性・生命・自由」運動の記憶は彼らの胸に深く刻まれており、イスラム指導者らによる厳格な道徳の押し付けや女性への抑圧に対して、根本的な拒絶反応を示している。自分たちの未来を奪う現体制ではなく、個人の自由が尊重される民主的な社会への渇望は、単なる一時的な不満を超え、体制そのものの変革を求める揺るぎない意志へと昇華した。
日本では見落とされがちな要因
そして第三に、最も根深く、かつ日本では見落とされがちな要因が、イランが抱える多民族国家としての矛盾である。日本ではイラン=ペルシャ人という画一的なイメージを抱きがちだが、実際にはペルシャ系は人口の約6割程度で、残りの4割はアゼルバイジャン系、クルド系、ルル系、バローチ系、アラブ系といった多様な少数民族で構成されている。
中央政府による長年のペルシャ中心主義的な統治は、少数民族に対する言語・文化の抑圧や、経済的投資の偏りをもたらしてきた。特に辺境に位置する少数民族の居住地域では、インフラ整備が放置され、貧困が深刻化している。今回のデモにおいて、地方都市や少数民族居住地域も激しい抵抗の拠点となっている事実は、長年蓄積されてきた「二級市民」としての怒りが爆発した結果に他ならない。多数派による専制的な支配への不満は、もはや民族の壁を越え、現体制の正当性を根底から否定する連帯へと繋がっている。
以上の経済的困窮、若者の価値観の変容、そして民族間の亀裂という三つの要因を説明したが、もはや小手先の懐柔策や弾圧でこの炎を消すことは困難であろう。イランという国が、その多様性と近代性を内包した新たな形へと生まれ変わるのか、それともさらなる混乱へと突き進むのか。今、その歴史的な分水嶺に立っている。