tl_bnr_land

医者から「なぜ放っておいたのか」と責められ……わずか2カ月で旅立った愛猫 罪悪感に苦しんだ日々「7歳で死なせてしまった」

古川 諭香 古川 諭香

「絶対見つけるから、私が寿命を全うして会えた時には大きな声で『おかあちゃん!』って叫んで教えてほしい」

そう話す飼い主さん(@tsukino_nekoko)は、7歳で天国へ旅立ったつきのくんとの日々やペットロスとの向き合い方を教えてくれた。

出会いは、2008年5月。仕事を終えた飼い主さんは駅に向かう最中、手のひらサイズだったつきのくんを保護した。

仕事後に植え込みの中から出てきた子猫を保護!

帰宅中、子猫の鳴き声を聞いた飼い主さんは猫の鳴き真似をしたそう。すると、植え込みから1匹の子猫が飛び出してきた。落ちると危ない!そう思い咄嗟に受け止めたものの、自宅にはすでに先住猫が。

保護を迷ったが、置いて帰ることはできず、夫に電話。「連れて帰っておいで」と言われたため、タクシーと電車を使って帰宅した。

胸元にツキノワグマを彷彿させる白い模様があったことから、名前は「つきの」に。離乳していないのでは…と不安に思ったが、ドライフードを差し出すと食べてくれた。

つきのくんは先住猫ねここちゃんに駆け寄り甘えようとしたが、自分のことを人間だと思っているねここちゃんは威嚇。

「つきのはねここが好きで、よくじゃれついて怒られていました。でも、おかげで噛みつき魔だったねここが噛む加減を覚えてくれたので助かりました」

性格は正反対!2匹の愛猫と築いた“かけがえのない思い出”

翌年の7月、夫の転勤により、飼い主さんらは引っ越し。ねここちゃんは初日から新居に慣れてくれたが、つきのくんはクローゼットの天袋に引きこもり。2日目に降りて来ても、へっぴり腰だった。

「ふたりは正反対な性格でした。でも、私が外出から帰宅すると一緒に玄関でお出迎え。つきのはよく、“おかえりの鼻チュー”をしてくれました」

2匹はいつも、手が届くギリギリの距離でお尻を向けながら伏せ、ナデナデを要求していたという。

食欲不振から愛猫の“心臓病”が判明して…

穏やかな日常が一変したのは、2015年9月。つきのくんは体重減少や食欲不振が見られ、スープ状のフードしか食べられなくなった。動物病院を受診すると、心臓が悪くなり、胸水が溜まっていることが判明する。

猫の心臓病は早期発見が難しい。だが、医師からは「こんなに酷くなるまで、なぜ放っておいたのか」と責められ、「麻酔なしでは処置ができない。手遅れ」と言われた。

そこで、飼い主さんは車で1時間半かけて隣県の心臓専門医のもとへ。診断結果は同じだったが、そこでは胸水を抜いてもらえた

「処置中に死んでしまうリスクがあると説明されたので、処置後、生きているつきのを抱きしめた時には泣いてしまいました」

溜まっていた胸水は、200mlにも及んだ。再び胸水が溜まるのを防ぐため、利尿剤と心臓薬の服用がスタートした。

幸い1週間後の再診では胸水が溜まっていなかった。医師は通院の負担を考慮し、飼い主さんが地元の動物病院で経過観察できるよう、取り計らってくれたという。

「簡単な検査や薬の処方などは地元の病院でしてもらい、心臓の先生とは週1回メールで現状報告や相談などをするようになりました」

胸水による圧迫がなくなったことで、つきのくんは少しずつご飯を食べられるように。ただ、投薬には悩んだ。ウェットフードに混ぜてもほとんど食べてくれず、体を押さえながら薬を混ぜたフードを口に放り込もうとしても、なかなか口を開けてくれなかったからだ。

試行錯誤の末、辿り着いたのはカプセルに詰めた粉薬を粉状の高栄養食を練って作った団子で包み、ウェットフードのスープにくぐらせて、ひとつずつ手からあげる投薬法。

「食欲はあるけれど食べられる量が少なかったので、体重が減らないように子猫用の粉ミルクを濃いめに作って手から舐めてもらうなど、食事も工夫していました」

心臓病の発覚から、わずか2カ月で天国へ

命を紡ごうと奮闘した、飼い主さん。2015年11月、つきのくんにある変化が。ドライフードを食べなくなり、なぜか家族のそばにいることが増えたのだ。飼い主さんは違和感を覚えたが、病院では順調な経過だと言われた。

しかし、異変は続く。徐々にドライフード以外も食べなくなり、薬も飲み込めず吐き出すように。体を押さえて投薬した際には発作を起こし、失禁。その後、病院へ行くと、胸水が溜まっていることが分かった。

「胸水を抜いてもらいましたが、最初の時のように良くはならず、状態が一気に悪くなっていって…。投薬は諦めることになりました」

そして、11月16日、つきのくんは朝によたよたと歩き、玄関で夫をお見送り。缶詰めを出すと嬉しそうにするも、飲みこむのが辛いようでほとんど食べられず、へたり込んだ。

「そのまま廊下で私の手を枕にしながら、一緒に毛布に包まりました。初めて少しだけ一緒に寝てくれたんです」

起床後は浴槽へ入ろうとしたため、サポート。その後、玄関へ向かう姿を見送り、寒くなった飼い主さんはねここちゃんと布団に入って少し眠った。

夢から目覚めさせたのは、「ビャオ」という叫び声。慌てて玄関へ行くと、口呼吸のつきのくんが…。すぐに酸素スプレーを口に当て名前を呼んだが、つきのくんは天国へ旅立った。

ペットロス後の苦しみを癒してくれたのは先住猫や新たな出会いだった

やっと苦しみから解放されたね…。辛そうな姿を見てきた飼い主さんは火葬までの間、そう思った。だが、火葬後には「病気に気づけず、7歳で死なせてしまった」という罪悪感が一気に押し寄せてきたという。

また、多頭飼いでは一般的なルールであるが、先住猫を優先してきた自分を責めもした。年齢が若いつきのくんのほうが先に亡くなってしまったため、「つきのには我慢ばかりさせていた」と思えてしまったのだ。

支えになってくれたのは、ずっと傍にいてくれたねここちゃんの存在。さらに、つきのくんが亡くなった翌年に保護して里親探しをした子猫も悲しみを癒してくれた。

「その子猫には、つきのが小さい頃に忙しくてしてしてあげられなかったことを全てさせてもらえました。つきのがよくいた場所に座ってじっと私を見るなどしたので、つきのが戻ってきたような気持ちにもなりました」

加えて、夫の仕事により思い出が詰まった家を離れたことによって、家中に残るつきのくんと思い出を思い出して泣くことが減ったという。

「生前の写真や動画を見返したら、甘えるつきのがたくさん写っていて、甘えさせてあげられなかったという後悔も和らいでいきました」

つきのくん亡き後、飼い主さんはよりマメに健康管理をし、元気な時から投薬の練習をするなど、ねここちゃんの健康維持に努めた。その結果、ねここちゃんは22歳と大往生。2025年8月25日に空へ旅立った。

「ねここの闘病や看取りを通して、寿命というものは人がどうこうできるものではないと思うようにもなりました」

今も、つきのとねここはずっと傍にいて、日常を続けている気がする。そう話す飼い主さんの中で2匹は永遠に生き続ける。

まいどなの求人情報

求人情報一覧へ

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース