京都府綾部市睦寄町の君尾山に眠る石仏を次世代に伝えようと、地元の奥上林地区自治会連合会と京都府立大が共同調査を進めている。住民や学生らが一部の石仏の「救出作業」を行った。山中の光明寺の参詣道で野ざらしになったり、埋没したりしていた石仏を近くの保管施設に運び出した。
同寺の古文書によると、四国八十八カ所にちなみ、住民が1825(文政8)年に石仏を寄進したと伝わる。同寺の国宝二王門前に88体、本堂に至る東側の古井、西側の山内の参詣道に44体ずつ計176体を安置したとみられる。
連合会は2018年から、府立大の地域貢献型特別研究による君尾山光明寺の調査に取り組み、これまでに石仏171体を確認した。全長30~45cmで、ほのぼのとした表情を浮かべている。調査の一環で一部を屋内で保管することにした。
山内の参詣道での救出作業は10月20日に行った。住民12人、府立大の学生と教員計11人に加え、上林中(八津合町)の生徒17人が授業として参加した。
小雨が降る中、地表にある石仏を1体ずつ運び出し、土砂に埋まった石仏も慎重に掘り起こした。計39体を連合会所有の保管施設に安置した。今後、観光資源としての活用も図るという。
府立大文学部の横内裕人教授(日本中世史)は「寄進から200年経ったが、これまでにほぼ全てを確認できた。大きな成果だ」と評価する。連合会で光明寺文化財調査班を務める熊内久志さん(78)は「詳細は長らく地元の人も知らなかった。調査をきっかけに継承につながれば」と期待する。