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誰が、いつ、何のために…?山の上に鎮座する重さ推定800トンの巨石 「益田岩船」の謎に迫る

平藤 清刀 平藤 清刀

奈良県橿原市に「益田岩船(ますだのいわふね)」と呼ばれる不思議な巨石がある。貝吹山の東峰にあたる小高い山の標高130メートルの位置にあり、明らかに人の手が加えられている。誰が、いつ、何のためにつくったのかは全く不明で、地元の人によると、1980年代初めまでは、子どもが上に登って遊んでいたそうだ。

江戸時代の図会にも描かれた巨石

「益田岩船」は花崗岩でできており、飛鳥地方に分布する特異な石造物のうちでも最大の規模だ。東西11メートル、南北8メートル、北側面の高さは4.7メートル、重さは約800トンと推定され、山側の下半分が斜面に埋まっている。運ばれてきたのではなく、元来この場所にあったと考えられている。

岩の頂部は平坦で、東西方向に幅1.8メートル、深さ0.4メートルの溝状の切り込みがあり、さらに溝内の中央に1.4メートルの間隔をあけて、東西に深さ1.3メートル(1.2メートルとする資料もある)、1.6メートル四方の穴が2つ穿たれている。

さらに、岩のおおむね上半分の表面は磨かれたように滑らかであるのに対し、下半分は格子状の整形痕がみられ、まるで「作業の途中で放棄された」ような印象を受ける。

「益田岩船」の謎はシンプルで、文献資料が見当たらないため、「誰が」「何のために」が全く不明なのだ。つまり、何も分かっていない。現在は「横口式石槨(よこぐちしきせっかく/横穴式の墓)の建造中に亀裂が生じたため放棄された」とする説が最も有力で、7世紀頃に多く見られる型式であることから「益田岩船」も同時代につくられたと考えられている。ほかに「天文台の基礎」とする説、「物見台や祭壇」という説もある。

また、江戸時代に出版された「西国三十三所名所圖會」にも、「益田池碑趾」として描かれている。これは、岩船が弘仁13年(822年)に築造された益田池(ますだいけ)を讃える弘法大師の石碑を据えた台石とする想定に基づいているとされる。

竹林の中に忽然と現れる巨石に圧倒される

今は山全体に繁殖する竹林に隠れて秘境の趣が強いが、地元の人に聞くと、昔は山上に露出していて、山の下の住宅地からはっきり見えたという。橿原市文化財課によると、1995年頃から竹林が繁殖し始めたそうだ。

1976年3月30日に奈良県の史跡に指定され、登山口付近に階段が設けられた。整備が「益田岩船」までの通路全体に及ばなかった理由は「周囲が民有地であるため、大掛かりな整備ができる状況ではありません」とのこと。そのような中、岩船に想いを寄せる地元の白橿町と南妙法寺町の住民の熱意をきっかけに、2016年3月から有志によって里道部分の階段整備が行われた。以来、清掃や整備も、主に地元有志や賛同者によって行われている。また、橿原市としては、民有地を避けて里道を中心に草刈りや清掃などを続けているそうだ。

登山口から、橿原市がつくった階段をのぼり、途中から地元有志が整備した階段を経て、やがてほぼ獣道に近い状態の山道を登っていくと、竹林の中に忽然と現れる巨石が「益田岩船」だ。登山道を登り始めてから数分でたどり着けるが、全般に坂の勾配がきつい。

前出の地元の人によると、子ども時代は、史跡に指定された後も岩の上に登って遊んだり写真を撮ったりしていたそうだ。今は、登らないように注意を促す表示が設けられている。

尚、「歴史に憩う橿原市博物館」では2026年2月15日まで、特別展「橿原市最大のミステリー益田岩船が見つめた沼山古墳展望」を開催中。取材に際して、このことを前もって知っていたわけではなかったので、何か目には見えない力の「導き」のようなものを感じるのは気のせいだろうか。

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歴史に憩う橿原市博物館 「橿原市最大のミステリー益田岩船が見つめた沼山古墳展望」

https://www.city.kashihara.nara.jp/kanko_bunka_sports/rekishi_bunkazai/3/2/19235.html

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