「そういうとこなんだよなぁ
何とかしちゃうから
ダメなんですよね」
自分のことを後回しにしてしまう――そんな自身の悩ましい性格について、X(旧Twitter)に吐露されたふたさん(@kobutakundayo7)。
ある日のこと、ふたさんは、カッターナイフでパネル加工をしている際に、誤って人差し指側面を切り落としてしまいました。
当然、かなりの出血が。普通であればすぐに病院で手当をしてもらうべきところです。ですが、この時のふたさん、なんと病院に行くという選択をせず、ワセリンやガーゼで押さえて自力で止血しつつ過ごしたといいます。
翌日になり、ようやく病院へ。
すると主治医の先生から「すごく血が出たでしょう?自分で血止めれたの?大丈夫だったの?」などと心配されてしまったとのこと。
そんなふたさんのポストに対し、リプ欄にもさまざまな声があがりました。
「いやいやいや
お大事に…っ!!」
「まあ、なんとかして生きてきたからなぁ」
「絆創膏で圧迫と、ワセリンたっぷりで結構治りますよね」
「行動力と冷静さすごいけど…その『何とかしちゃう』のが逆に危ういんだよね」
子どものお迎えにASDの問題――自分を後回しにしてしまう理由とは
本来、それだけの大きなけがをしたのであれば、すぐに病院へ行くべきだったでしょう。
しかし、ふたさんにはそれができない理由がありました。
「この時、(子どもの園の)お迎え時間が近づいていました。また翌日は午前中に子どもの予定がありました」(ふたさん)
小さなお子さんを抱える主婦のふたさん。お迎えが控えており、けがをしてしまったとはいえ、即座に義母や夫に代わりを頼むこともできない状況でした。
かなりの出血があったとはいえ、骨が見えているわけでもなかったことから、ふたさんは大丈夫だと判断。子どもの対応を優先することにし、受診の選択肢は早くに消えていたといいます。
「自分を後回しにする癖」や「自分で対処しようとしてしまう性格」。ふたさんによると、それらの原因には、もう一つ重要な背景があるといいます。
それは、生まれつきの“ASDの特性”と、それに起因する過去の“生きづらさを感じてきた経験”でした。
ASD(自閉症スペクトラム)とは、発達障害の一種であり、他者とのコミュニケーションや社会生活において、支障をきたしやすいのが特徴です。
幼少期から対人トラブルや集団生活の困難を多く経験してきたことから、人と深く関わる場面には苦手意識を抱きがちに。しかし、そのような状況を補うべく、一般の方とは少し異なる独自の対応策を編み出しながら生きていく人も多いとされます。
そのようなASDの特性や過去の経験則が、できるだけコミュニケーションを避ける方に動いてしまい、セルフネグレクト(自身の健康や心身のケアを自ら怠ってしまうこと)や他者に頼れず自分で何とかしようとしてしまう傾向につながっているのでは――とふたさんは自身を分析。
病院での診察は、医師と患者との綿密なコミュニケーションが必要になります。医療側が端的に患者の症状などの情報を求めているのに対し、患者側がどこまでの情報をどのように伝えて良いのか分からず、互いのやりとりに摩擦や誤解が起きるのはままあることです。
「会話のキャッチボール」が苦手なASDの方は、診療という面においてもよりハードルを感じてしまうため、つい「病院に行かない」という選択をしてしまいがちなのかもしれません。
自分で自分の舵取りをする意識を
子育てやASDの問題によって、自分を後回しにしたり、自分で何とか対処しようとしてしまう――というふたさんの悩み。
しかし、自己主張せず周囲に合わせるのを美徳とする風潮が今でも色濃く残っている日本。発達障害のあるなしに限らず、周囲とのつながりに苦労したりして、同様の困りごとを抱えている方は意外に多いのかもしれません。
そのような方に、「自分を大事にして」、「他人を頼って」といっても、本人にはなかなか難しいでしょう。では、どのようなことが必要なのでしょうか。
ふたさんにおうかがいしたところ、次のような回答が。
「自分で自分の舵を取る意識をもつようにしています」
できないことがあると、人間は「どうしてできないんだ…」と思い悩んでしまったり、つい躍起になって取り組んだりしてしまいがちです。しかし、あえて視点を変えて、
「自分に合った別のやり方を探そう」
「自分を虐げてないか一旦落ち着いて考えてみよう」
「このまま行くと夜にはオーバーヒートするから一旦休もう」
など、時折自分自身を省みて、軌道修正をしながらできる範囲で取り組んでみることで、周囲に合わせすぎてしまったり、その場の状況に自身が飲まれてしまったりすることを少しは回避できるのでは――とふたさんは考えています。
「自分の人生の手綱は自分で握る」という言葉もありますが、日々の生活においても、自分で自分のことを知り、自分をコントロールすることが、大切な要素なのかもしれませんね。
Xのフォロワーや通りすがりの方々が助けに
なかなか他人を頼れず、つい自分の経験や知識だけで解決しようとしてしまうふたさん。
しかし、自身の判断や対処法が常に正解であるとは限りません。
ふたさんの場合、自身の内面の情報を色々と処理して判断するタイプであり、お子さんによって思考を途中で中断されたりした結果、テンパってしまったり、判断を間違えてしまったりすることもしばしばなのだとか。
今回のけがに関しても、当初ふたさんは「この手当てで何とかなるだろう」と勝手に判断し、初めは受診するつもりもなかったといいます。しかし、素人判断は極めて危険。感染症などの重篤な症状を引き起こす可能性もあったことから、後日であっても通院したのは賢明な判断だったといえるでしょう。
その背景には、そんなふたさんを助けてくれる存在がありました。
それは、ふたさんが今回の投稿をされたX(旧Twitter)のユーザーたち。
けがをした直後、ふたさんはXに状況についてポストしました。すると、フォロワーや通りすがりのユーザーから、リプを通じてさまざまなアドバイスが――。
「けがをした直後、自分は患部を圧迫して血を止めることしか考えていなかったのですが、『刃物傷は水で洗って』とフォロワーさんが言ってくださいました(※)。また、他の通りすがりの方から受診を勧められたりして、受診するべきか?と気持ちが揺れたんです」(ふたさん)
このように、ふたさん自身の判断から抜け落ちていたものを、SNSでは情報として、納得いく形で提示をしてもらえたといいます。
また、Xのユーザーたちに助けられた経験は、以前にもあったそうです。
「産後、夫婦ともに大変で、買い物さえままならない状況のなか、(フォロワーたちが)お湯を注ぐだけのリゾットだったり、コロッケだったり、備蓄品だったり、深夜の授乳用のおやつだったり、産後を乗り切るためのものを送ってくれて、本当に助けてもらいました」
Xをコミュニティにできたから生き延びられた――と語るふたさん。もちろん、地域での身近なつながりがあれば、そこで助け合うに越したことはありません。しかし、リアルでの人間関係がなかなかもてない人でも、ネットやSNSを通じて助け合うことはできるかもしれないですね。
「ありがとうXのみんな」
とふたさんは、X上の仲間たちに感謝の言葉を述べられました。
(※本来、けがをされた際は素人判断せず、日本医師会のホームページなど、専門家の公式な情報を参考にし、病院にもできるだけ早めに受診することが肝要です)
◇ ◇
ふたさんは、車いすユーザーとそのパートナーや子どもたちが暮らしやすい社会の実現を目指した非営利任意団体「ウィルチェアファミリー」を運営されています。
「事故や病で車いす生活を送られている育児中の親御さんもいます。しかし、車いすユーザーの育児環境は社会から想定されていない場面が少なくなく、道具やノウハウがない、仕組みがない、バリアフリーがないという三拍子で、社会の中で大きな摩擦が生じます。その摩擦をなだらかにしていくための活動を行っています」(ふたさん)
現在、『車いすユーザーと家族の写真展』を開催中。これまでに、東京、仙台、新潟で行ってきたほか、11月8日、9日に帝京平成大学(東京都豊島区)学園祭での展示を予定されています。
また、神戸にある財団のサポートのもと、『脊髄性障害者の育児サポートブック』を医師、大学教授らと共に来年中に出版される予定とのことです。
■ふたさんのX(旧Twitter)はこちら
→https://x.com/kobutakundayo7
■ウィルチェアファミリーのInstagramはこちら
→https://www.instagram.com/wheelchairfamily