「たぶん他の医師とは全く違う人生を歩んできました」――そう語ったのは、現在は救急医でありながらプロ格闘家としても活動する岡田将人さん(@masato15)です。Instagramに自身の体験談を投稿すると、2万件以上の「いいね」とともに、「カッコ良すぎる生き様」「全力で人生生きてる感が尊敬」などのコメントが殺到。
夜の仕事から始まり、タイでのムエタイ修行、ニュージーランドでワーキングホリデーを経験し、医学部合格、格闘家としてプロデビュー、そして32歳となった現在は救急医に――。異色の経歴が話題を呼んでいます。
10代の頃はたくさん遊び、少し尖っていたという岡田さん。
「当時K-1で活躍していたブアカーオ選手が好きで、本場でムエタイを見たいと思ったのがきっかけです。高卒で貯金もなく、母子家庭で男4人兄弟という環境でしたが、昼と夜の仕事を掛け持ちして渡航費を貯めました」
夜の世界では芸能人や社長など、普段出会えない人々と交流。後に格闘家としてプロデビューした際、当時の縁がスポンサーにつながったといいます。
タイではスラム街に近い地域に暮らし、ジムまで徒歩5秒という環境で練習漬けの日々。
「最初はタイ語が全く分かりませんでしたが、練習後に教えてもらううちに生活に困らない程度に習得できました。貯金を切り崩す生活で貧乏でしたが、近所の人や大家さん夫婦に助けてもらいました」
1年半のタイ生活で人生観は大きく変化。続くニュージーランドのワーキングホリデーでは多国籍の仲間と出会い、再び働きながら暮らしました。
「ニュージーランドでもたくさんの国の人たち、日本のいろんな県からいろんな目標を持ってきた人たちと関わることができていい経験になりました。その時も貧乏だったので毎日働いていましたが、タイに住んでいた経験からタイ料理屋の仕事もゲットできました。」
帰国したのは22歳のとき。外科医だった父を中学時代に大腸がんで亡くしており、その記憶が医師を志す原点となりました。
「タイで一人暮らす中で父を思い出し、父のような患者を救いたいと考えるようになりました」
2015年10月に帰国し、翌1月の試験まで残り3カ月。タイ語以外の勉強から5年離れていた岡田さんにとって挑戦は厳しいものでした。
「合格できるとは思っていなかったので驚きの方が強かったです。勉強することに慣れるのが大変でしたが、息抜きを忘れず続けられたのが良かったと思います」
大学進学後、1年生で格闘家としてプロデビュー。学業と格闘技の両立は容易ではありません。
「毎朝ランニングやシャドーボクシングから始め、授業の合間にも筋トレをしました。『医師を目指しながら格闘技をしているから応援する』とスポンサーから言われ、勉強も疎かにできませんでした」
序盤は連敗も経験しましたが、授業に真剣に取り組むようになると、成績も試合も好転。
「一つのことを頑張るだけではなくて2つのことにどちらも100%の力を注ぐことで、相乗効果で2つともいい方向に行くのだと感じました」
「もちろん、医師になること、チャンピオンになることをモチベーションに頑張ってきましたが、プロ格闘家してるから成績が悪いんだとか、医学の勉強してて忙しいから試合に勝てないんだとか言われたくないという気持ちも原動力になっていました。」
現在は救急医として働きながら、プロ格闘家としても活動中です。
「高校を卒業して医学部入学して医者になる、という普通の道から遠回りしたからこそ、たくさんの経験ができたことが自分の強みだと思います。タイでの極貧生活も直接医療に関係はしませんが、忍耐力やコミュニケーション力につながっています」
「格闘家としては再びチャンピオンを目指します。研修医になった時点で格闘技は終わろうと思っていましたが、引っ越した家の隣がキックボクシングジムで、身体を動かすために入会したつもりがやっぱりまたリングに上がりたいという思いになりプロ活動を再開しました。格闘技人生もそう長くないと思うので、残された時間を無駄にせず必ずチャンピオンになりたいと思います」
Instagramの投稿には、「何かに挑戦すことに年齢は関係なく、自分の心次第だと感じます」「応援しています」「頑張ってください」など、岡田さんの行動力を讃え、今後の活躍を応援するコメントが相次ぎました。
「医師としては救急専門医を取得し、タイでの貧困地域で生活してきた経験や実際の臨床現場を見てきた経験から、将来的には発展途上国で医療を届けたいと考えています」
異色の経歴を歩んできた“格闘家医師”。その挑戦はまだ続いていきます。