豪快にして繊細な歴史・武将画のイラストが国内外で人気の絵巻作家・正子公也さん(64)=岡山県玉野市出身=が「ライフワーク」というビジュアルノベル「絵巻水滸伝」の最終52巻が出版された。1998年にウェブサイトで月1回の連載を開始し、26年を注いだ超大作。水滸伝や作品に懸けた思いを聞いた。
―大学在学中に漫画家を志したと聞いています。
小さいころから漫画やSF小説が好きでした。尊敬する手塚治虫先生が医学博士で漫画家、アイザック・アシモフ先生も理学博士で作家だったので、自分は物理学者で漫画家を目指しました。その目標はかないませんでしたが、大学3年の冬休みにSF漫画「コブラ」などで知られる漫画家・寺沢武一先生のアシスタントとして働くことができた。8年ほど在籍して技術を基礎から身に付け、29歳で独立して漫画家になることができました。
―水滸伝との出合いは。
11歳の時、NHKテレビの人形劇で滝沢馬琴の「八犬伝」を見ました。宿命を持つ8人が集い活躍する物語ですが、その源流に108人の「水滸伝」があると聞きました。どんな物語かと思って本屋に走り、こんなに面白い物語があるのかと感動した。続いて「三国志」や「史記」など読みふけった。大陸や人間のスケールの広がりが圧倒的だった。ちょうど思春期の人格形成の時期で、すっかり影響された。今でも水滸伝の好漢は憧れの存在です。
―水滸伝で好きな登場人物は。
李俊ですね。彼は水軍の総帥です。梁山泊の崩壊後、船に乗って外国で国王になります。多くの豪傑が梁山泊と運命を共にしますが、彼は最初から最後まで、ずっと自由を求めて戦い、全くぶれなかった。僕は出身地の玉野で瀬戸内海をいつも見ていたから、男たちが海を渡る姿をありありと思い浮かべることができた。石秀も大好きです。友のために命を捨てることをいとわない、最も「侠(きょう)」を体現している人物だと思う。
―コンピューターグラフィックス(CG)に見えない美麗な絵が魅力的。
漫画を描くときはカブラペンと墨汁、カラー作品ではエアブラシとアクリル絵の具を使用します。新たな技法を考えるのが好きで、迫力のある表現や幻想的な描写など試行錯誤を続けています。現在はデジタルで手描き(アナログ的)な雰囲気を出そうと工夫しているので、「CGには見えない」と言われるのはうれしいです。ただ、CGは表現方法の一つにしかすぎません。コンピューターは単なる道具で将来もっと便利な道具が見つかれば、そちらに乗り換えるでしょう。
―「イラストレーター」でなく「絵巻作家」と名乗る。
一般的にイラストレーターは依頼者から頼まれた仕事をしますが、僕は自分で作品を企画し、形にして、それを出版社などに見ていただく。運の良い作品は世に出ますが、日の目を見ない不幸な作品も数多く存在し、自分のやりたいことをやるという自負もあって絵巻作家と名乗っています。現在の「絵巻」は一言で言うと、絵本と漫画と小説の良いところを合わせたもの。本のどこを開いても必ず挿絵があり、それぞれの挿絵が前後の文章やせりふと同期しているのが特徴です。
―「三国志」でなく「水滸伝」を題材とした理由は。
もともと水滸伝が大好きということもありますが、転機は1990年ごろです。ゲームやアニメでたびたび三国志ブームが盛り上がりをみせるのに対して、水滸伝の人気は今ひとつでした。仕事も三国志の武将絵の依頼が多く残念に思っていた時、「水滸伝をやるのは今だ」という天の声が降ってきました。「そうだ。自分の手で水滸伝を描き、もり立てよう」と93年に「絵巻水滸伝」の企画書を作成しました。10社以上の出版社に断られましたが、ウェブサイト制作会社にたどり着き、当時は珍しかったウェブ連載の形でスタートすることができました。
―登場人物のデザインはどうしましたか。
武将画を描くときは、時代考証をしながらも自分のイメージを膨らませ、その人らしさが伝わるように思いを込めています。当時、水滸伝に関するビジュアルはほとんどなく、好漢たちの姿を探して中国の文献や絵本、好漢の姿が描かれたトランプなどを集めました。それらを参考に、僕にとって唯一の存在に昇華させた。正しい描写ではないかもしれないが、自分が少年のころに見たかった絵を、自分に向かって描いたようなものです。中国のファンからは「日本っぽさはあるものの、対象への愛と尊敬が込められた良いデザイン」と評価をいただき、受け入れられているようです。
―水滸伝は仲間が集結した場面の人気が高く、そこで完結する作品も多い。
当初から水滸伝をやるなら、最後まで描ききると決めていました。実際、連載を開始する前に108星(108人)のデザインを決め、イラスト集「絵巻水滸伝 梁山豪傑壱百零八」を刊行しました。「絵巻水滸伝」は原典を尊重しましたが、108星の残酷な行動など現代では理解が少し難しい場面もあります。そのような場面を、より理解しやすくし、また人物と物語の魅力がさらに増すように考えました。
特に108星が次々と散っていく最終の「方臘(ほうろう)篇」では、原典では最期が報告されるだけで詳細に描かれていなかった描写もイメージを膨らませ、魅力が向上するように工夫しました。全員の最期が納得いくように展開できたと思います。
―中国からも熱烈な応援を受けている。
初めて中国から依頼があったのは2000年。「今古伝奇」という雑誌の表紙でしたが、中国のファンが僕の作品を知るきっかけは陳凱歌監督の映画「PROMISE 無極」(05年)だと思います。僕はセットや小道具、ポスターなど美術全般を任されました。映画は中国で大ヒットし、当時の最高動員数を記録しました。僕も多くの雑誌やテレビの取材を受け、講演や展覧会を行う機会に恵まれ、中国の皆さんと交流できて、楽しい時間を過ごすことができました。
「絵巻水滸伝」の英語タイトルは「All Men Are Brothers!」です。これはノーベル文学賞を受賞した米国の小説家パール・バックが水滸伝を初めて英訳したときの英語タイトルです。意味は「世界中の人々は、みな兄弟のように仲良くすべきだということ」。これは僕の願いそのものです。中国と日本は、政治的に難しい問題もあるでしょうが、中国、そして世界中の人たちと、文化を通して仲良くなれたらいいですね。
―「絵巻水滸伝」を終えて。
連載は23年続き、2021年に完結しました。こんなに長く続けることになるとは、僕も含めて誰も予想していなかったはず。僕にとって作品は、わが子のような存在だが、「絵巻水滸伝」は苦労ばかり多くて、幸薄い作品だと思っていました。しかし今、振り返ると、たくさんのご縁や出会いに恵まれ、国内外のファンに愛される幸せな子になりました。海外での出版も途中で、まだまだこれからと思っています。この先、「絵巻水滸伝」にどんな運命が待っているのかを楽しみにしています。
―次回作の予定は。
“ライフワーク”が完結しても、次から次へと創意が湧いてきます。多彩な妖怪変化を描くのも楽しいので、次は「西遊記」を考えています。