助監督として長年黒澤組に従事してきた小泉堯史監督。最新作映画『雪の花―ともに在りて―』では、吉村昭の小説「雪の花」を美しい映像で映画化。江戸末期の福井藩を舞台に、人命を奪う疫病の大流行から人々を救おうと奔走する町医者・笠原良策の奮闘を活写した。本作で35ミリフィルムを使い2カメで捉えるという黒澤組の伝統を継承した小泉監督が、黒澤明監督の長男・久雄氏と対談し、今後の日本映画への思いを語った。
フィルムで撮影された『雪の花―ともに在りて―』
『影武者』(1980年)、『乱』(1985年)、『夢』(1990年)、『八月の狂詩曲』(1991年)、『まあだだよ』(1993年)で黒澤組の助監督を務めた小泉監督。『雪の花ーともに在りてー』では、松坂桃李を主人公・笠原良策に迎え、清廉な人間ドラマを完成させた。
撮影カメラマンは上田正治氏、美術に酒井賢氏など、黒澤組を支えた盟友たちが参加。35ミリフィルムを使用し、カメラは2台回しという黒澤イズムを継承している。小泉監督は「いまはフィルムを扱ったことがない人がほとんど。だからフィルムに対するライトの当て方などが分からないんです。各メーカーも多くがフィルムを辞めてしまった。現像所も大阪のイマジカぐらいしかない。しょうがないですよね」と現状について語る。
今回の撮影には東京を離れていた坂上宗義氏に助けを求めたという。小泉監督は「ライトとフィルムのバランスを測れる人がいないと設計ができない。坂上ちゃんみたいな腕のある人もいまは仕事がないから、みんな実家に戻っちゃっている。やっぱりそういう人を育てていかないとダメなんだと思う」と嘆く。
久雄さんも「もうフィルムで撮るということ自体難しい。そりゃやったことないんだから撮れないのは仕方ないですよね」とデジタルへ移行していく映画界の流れに触れると、小泉監督は「黒澤監督は常日頃から『映画は科学と共に進歩してきたから、必ず新しいもののなかにも取り入れるべきものがある』と語っていたので、もし黒澤監督がいたら、デジタルの時代でもきっと素晴らしい表現ができたんだと思う」と語る。
フィルムでの撮影だからこそ撮影現場をしっかり作る
フィルムでの撮影は、映像的な奥行きだけではなく、現場での俳優たちにも大きな影響を与えるという。
小泉監督は「フィルムはデジタルのように撮り直しがしづらい。NG出してしまうと、それだけフィルム代が無駄になってしまう。緊張感はすごいですよね。でもそれは俳優だけではなく、スタッフも一緒なんです」と述べると「まず撮影現場をしっかり作る必要がある。“とりあえず回してみよう”なんてことがない。『赤ひげ』なんか、カメラの使い方、ライトの当て方など本当にお手本になります。そこをきっちりやったうえでデジタルの技術を使えば、もっといいものができる。なんせ撮ったものをすぐに見ることができるんだから」とフィルムの経験とデジタルの融合により、さらに素晴らしい表現方法が生み出せると語る。
久雄さんも「どうしてもデジタルを楽できるものと捉えがちですが、手を抜くためのものではなく、技術を突き詰めていった上で利用すること」によって、さらに映画界が発展していくという。小泉監督も「若い人に『七人の侍』や『用心棒』などを観てもらいたいですね。学ぶべきことがたくさんあります」と力説する。
経験したくてもできないというジレンマがあるなか、『雪の花 ―ともに在りて―』でも、しっかりとフィルムに人物の機微や美しい自然を刻んだ小泉監督。黒澤組に助監督として従事していたときは「映画監督になろうと思ったことはなかった」と語っていたが、久雄さんは「黒澤組の経験をした人がほとんどいなくなってしまったいま、小泉さんが引っ張っていかなければいけない。後進を育てていってもらわないと」と期待を寄せる。
それでも小泉監督は「世の中には黒澤監督も小津安二郎監督の作品が残っている。彼らの作品は古典ですから、そこから学ぶことはできると思います」と語ると「もっと劇場も黒澤作品をやってほしいですよね。そうすることだけでも、人が育つと思う。いいものに触れる機会を与えて欲しい」と切に願う。
久雄さんは小泉監督に「もう一作、一緒に作りますよ」とけしかけると、小泉監督は「『雪の花 ―ともに在りて―』で7作目。終わるのはちょうどいいかもしれませんね」とつぶやく。その理由について、黒澤監督はウイスキーを飲んでも奇数で終わるようにするというのだ。「黒澤監督は夜飲んでいても、4杯になったら5杯まで飲む。6杯まで行くと7杯になるんです」。そんななかで出てきた7作品目。それでも久雄さんは「いやいや、今度は小泉監督らしくない作品を撮ってもらいたい」とまだまだ黒澤イズムを映画界に伝えていってほしいという思いを語る。
「映画監督になるつもりはまったくなかった」という小泉監督だが、自身が黒澤組で助監督を務めた作品数を超えた。小泉監督は「僕が『八月の狂詩曲』の助監督をしていたころ、黒澤監督が『やっと楽になったよ』と言ってくださったことがありました。その時が一番嬉しかった」と懐かしそうに語ると「ちょっとは監督の役に立てるようになったのかな思ったんです。でもそのあと(黒澤監督が亡くなり)『まあだだよ』で終わってしまった。もし黒澤監督が『雨あがる』を撮っていたら、いい助監督を務められたと思うんです」とにやり。
常に俳優が演じやすいように「場を丁寧に作ること」が大切だと語っていた小泉監督。松坂桃李、芳根京子、役所広司という世代きっての役者たちが、『雪の花 ―ともに在りて―』の現場でどんなことを感じ、作品に魂を込めたのだろうか――。小泉監督は「黒澤監督のような絵をワンカット撮るだけでも難しい。でもスタッフ、キャストが一歩でも近づきたいという思いを持って臨まないと太刀打ちができない。志は高く全力で作品を作りました」と自信を覗かせていた。
映画『雪の花―ともに在りて―』は1/24より全国ロードショー
小泉堯史監督
1944年生まれ。茨城県水戸市出身。70年に黒澤プロダクションに参加し、黒澤明監督に師事。『影武者』(80)、『乱』(85)、『夢』(90)、『八月の狂詩曲』(91)、『まあだだよ』(93)で助監督を務めた。黒澤監督の遺作脚本『雨あがる』(00)にて監督デビュー。この作品で第56回ヴェネチア国際映画祭緑の獅子賞、および第24回日本アカデミー賞において最優秀作品賞をはじめとする8部門で最優秀賞を受賞。その後、『阿弥陀堂だより』(02)、『博士の愛した数式』(06)、『明日への遺言』(08)、『蜩ノ記』(14)、『峠 最後のサムライ』(22)を監督。日本アカデミー賞では優秀監督賞を4度、優秀脚本賞を2度受賞しているほか、平成26年度芸術選奨文化科学大臣賞、第39回報知映画賞監督賞など数々の賞を受賞している。
黒澤久雄
1945年生まれ。黒澤明監督の長男。大学在学中にフォークバンド「ブロード・サイド・フォー」を結成し、歌手や俳優として活動後、映画プロデューサーとして『乱』(85)以降、黒澤明監督作品に携わる。『雨あがる』(00)では、黒澤監督の遺稿を、当時助監督だった小泉堯史に託し、映画監督デビューを推奨する。