高校に残る超絶技巧のつぼ 精緻な表現で登校風景 寄贈した陶芸家は明治生まれのOB?

京都新聞社 京都新聞社

 園部高(京都府南丹市園部町)に長年伝わる謎のつぼがある。表面が大きくくぼんだ中に、園部城の旧城門である同高の校門があり、生徒の登校姿を表している。卒業生の陶芸家が40年ほど前に寄贈したが、その後、足取りが不明となり、「超絶技巧の謎のつぼ」とされてきた。同一人物の別作品を同高OBが発見し、今夏、同高に寄贈した。「どんな先輩だったのか…」と、OBは足跡を追い続けている。

 いつの時代の光景だろうか。学帽やセーラー服姿の生徒たちが園部高の校門前を行き交う様子が粘土細工で精緻に表現されている。

 謎のつぼは高さ45センチ、胴の直径は40センチほど。表面は葉が生い茂るデザインの透かし彫りで、同高と、前身である旧制園部中と女学校の校章もあしらう。

 園部高の創立100周年を記念した1988年、卒業生で陶芸家の守谷民男さんが寄贈したとの記録が残る。

 守谷さんは1921年に旧制園部中を卒業した1期生。明治時代の生まれとみられる。寄贈時の資料では守谷さんは愛媛県新宮村(現四国中央市)在住となっていたが、その後の経歴や詳しいプロフィルは確認できていない。

 つぼは、園部高内にある園部城遺構「巽櫓(やぐら)」内で学校の歴史資料を展示するスペースに長年陳列されてきた。

 美術収集が趣味の卒業生、上野榮二さん(89)=同町=は「彫りが見事」として興味を抱き続けていた。

 約7年前、高松市の古美術商を訪れると、黄土色の釉薬が似る小さなつぼを見つけた。

 中には校門ではなく、2階建ての民家が作られていたが、くぼみの形状や装飾の技法は共通する。

 つぼの底の陶印を見ると、園部高に伝わるつぼと同じ「守谷」「上山窯」の文字があった。守谷さんの作と判断し、購入した。

 自宅で保管していたが、「両方を並べれば作風がよく分かる。在校生に見てほしい」として、今夏に同高へ寄付した。園部高では、2つのつぼを並べ、巽櫓に展示するという。

 守谷さんのその後の足取りは分からないだろうか。四国中央市教育委員会に記者が問い合わせたが「情報はない」との返答だった。

 ただ、1950年代の教育系雑誌によると四国中央市に同姓同名の小学校長がいることが確認できた。同一人物の可能性もある。

 詳細は霧に包まれたままになっている。新たなつぼを寄付した上野さんは「守谷さんの作品を他にも探したい。珍しい技法で作っており、どんな人だったのか知りたい」と調査を続けている。

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