知的な発達に遅れはないが、読み書きや計算など特定の課題に対する習得が難しい「学習障害(LD)」は、発達障害への理解が広まりつつある昨今でも正しく認識されづらい。子どもは「頑張ればできる」の声に苦しむことがあり、大人は就労の問題を抱えることも少なくない。
そうした“見えづらい困りごと”を、企業と協力しながら解決するのはインクルーシブデザイン企画会社「Ledesone(レデソン)」の代表・Tenさん(@tents1310)。
Tenさん自身、ADHDで文字の読み書きが困難なディスレクシア。小学生の頃には生きづらさに悩み、自死を選ぼうとした。
自殺未遂を機にLDだと知る
Tenさんが保育園児の頃、母親は保育士から我が子がLDである可能性を告げられた。保育士は、保育園へ定期的に来ていた市の子ども課の担当者から指摘を受けたという。
母親に連れられ、市の発達センターで検査を受けたTenさんは小学校入学前後の頃、LDであると診断された。
小1~2くらいは読み書きが難しい子も多いため、あまり生きづらさを感じなかったそう。だが、小3の頃、周囲との違いに気づく。書きたい言葉が浮かぶのに、文字にできなかった。
ディスレクシアは、フォントや紙のコントラストによっても読みやすさが変わる。Tenさんの場合は、わら半紙に明朝体で印刷された問題文が読みにくかった。
適切な支援を受けながら学ぶため、小3の頃、特別支援学級がある小学校へ転校。だが、同級生から嫌がらせを受けたり、周囲とのコミュニケーションがうまく取れなかったりして精神的に辛くなり、教室の窓から飛び降りようとした。
教師の制止によって命を紡いだTenさんは母親からLDであることを聞かされ、自分が感じている生きづらさの理由を知る。
「母自身、幼い我が子にどう伝えようか、タイミングも含めて悩んでいたのかもしれません。してほしいサポートが先生に言えるよう、母は困りごとを言語化する練習をしてくれました」
「同行援護従事者」の資格を取得して将来設計が変化
Tenさんにとって、ノートに板書を取ることは難しい作業。母親は友人のノートをコピーさせてもらえるよう、学校側に依頼した。すると、事情を知った担任教師は粋な配慮をしてくれたそう。自身の授業では全クラスのノート提出を廃止にしてくれたのだ。
「代わりに、何を書いてもいい自主学習ノートの提出で成績をつけてくれました。期末試験は日頃行う小テストからも出題してくれ、最低限の点数が採れるようにしてくれたんです」
高校では帰国子女を受け持った経験がある教師が担任になり、漢字の覚えやすい方法を教えてくれた。部活では、ロボット制作に熱中。
将来は、医療系エンジニアになろうか。そう考えるようになった高2の頃、大学のAO入試のために必要だった視覚障害者の外出をサポートする「同行援護従事者」の資格を取得したことで将来設計に変化が。
「講師の話や様々な視覚障害者の方の話を聞く中で、自分も色々な人にサポートしてもらったことを思い出し、障害に関する仕事がしたくなりました」
企業を巻き込んで世の中の“困りごと”を解決したい
「障害」に目を向けるようになったTenさんはアルバイトで知的障害や身体障害、発達障害を持つ人のガイドヘルパーとして一緒に街中へ。すると、飲食店や交通機関、スマートフォンのサービスや仕組みなどを利用する時に困りごとが生じることに気づき、企業を巻き込んで社会を変えていきたいと思うようになった。
「自分も含め、障害を持つ人だって24時間365日福祉の世界で生きているわけじゃない。だから、困りごとを解決するには身近なサービスを提供する企業に現状を伝える必要があると思いました」
熱い夢を持ったTenさんは大学在学中、20歳で起業。試行錯誤しながら、発達障害の人と当事者以外がチームとなり、ひとりひとりが過ごしやすい社会を実現するためのサービスや仕組みを生み出す「ハッタツソン」という共創プログラムを開催し始めた。
「困りごとの会話がないと成立しないイベント。発達障害を理解してもらえないのでは…との不安から健常者とのコミュニケーションを躊躇っていた人からも『対等に話せて嬉しい』と喜んでもらえました」
その後、Tenさんは自身の活動が「障害者支援」や「福祉」ではなく、「インクルーシブデザイン」(※高齢者や障害者、外国籍の方など多様な背景を持つ人々の視点を取り入れたデザイン)と表現できることを教えてもらう。
Tenさんは自治体・企業・制作会社・障害者支援施設などに属する人や障害を持つ当事者などが新しいアクセシビリティ技術に触れて体感できるイベント「アクセシビリティの祭典」に参加し、実際にインクルーシブデザインに触れもした。
2020年7月、Tenさんは自身が立ち上げた企画会社「Ledesone(レデソン)」を合同会社として法人化。発達障害を持つ人が不自由を感じないデザインを提案しながら企業の映像やウェブサイトの制作をしたり講演会を行ったりと、より精力的に活動するようになる。
そんな中、出会ったのが当時、個人でインクルーシブデザインに関する活動を行う文房具メーカーの社員だった。その社員はTenさんが開催するワークショップに何度も参加。後に、会社としてインクルーシブデザインの取り組みを行ってくれ、その一環としてTenさんの会社に発達障害を持つ人の視点を活かした商品開発の相談を行ってくれた。
「Ledesoneとしては、その企業の試作品を発達障害の人に利用してもらい、当事者ならではの課題に製品が活かせるかをフィードバックしました」
企業を巻き込んで社会を変えていこうと奮闘するTenさんは、発達障害や”見えづらい困りごと”の解決を目指して取り組みを行う企業や団体、個人の想いを知ってもらい、社会に浸透させることを目的とした「ハッタツソンフェス」も開催。
「企業が提供する通常の製品・サービスの中には発達障害を持つ方に役立つものもあるので、それらをちゃんと当事者に届けること、そして、どのようにサービスや商品を広めればいいのか悩んでいる企業側の悩みを解決することが私の目標です」
大人になったLDの困りごとを解決したい
困りごとは悪いものではなく、発信することで企業の製品や取り組みに活かしてもらえる。そう話すTenさんが今、力を入れているのは大人のLDの現状や課題を伝え、当事者同士が繋がれるネットワークの構築だ。
「LDって発達障害の中でも忘れられているような気がしましたし、大人になってからのつき合い方を自分自身、知りたかった」
そう思い、LINEのオープンチャットを活用した大人LDのためのコミュニティ「おとなLDラボ」を作った。
様々な困りごとは障害名や症状ではなく、困っていることを起点として解決法を考えることが大切だと、Tenさんは語る。
「ディスレクシアでなくても、高次機能障害や認知症、失読症で読み書きが困難になることはあるし、健常者でも目が疲れて見えづらい日はある。だから、企業や自治体を巻き込みながら、目には見えないさまざまな困りごとを持つ人と一緒に解決法を企画し、サポートしていく会社でありたい」
誰かの困りごとを想像するのは難しい。だが、本当の意味での多様性が浸透していけば、様々な困りごとは解決に向かいやすくなる。
例えば、ディスレクシアの人に対して職場でできるサポートはやり方を限定しないことだとTenさんは話す。
「専用のツールを使って読みやすいように変換するディスレクシアの方もいるので、パソコンでデータを貰えるのは助かります。でも、理解しやすい方法を認めてもらえるだけでも心が楽になる当事者は多いと思います」
なお、近頃はタブレットを用いての授業が当たり前になりつつあるが、ディスレクシアの人はタブレットに文字を書くことが難しかったり、時間がかかったりすることもあるため、学校側は生徒がやりやすい方法を認めることも大切だとTenさんが考えている。
「現実的に難しいことは分かりますが、先生側が選択肢を出すことで学びやすい環境になっていってほしい」
LDや発達障害だからこそ、できることはある。そして今、感じている困りごとは誰かの負担を軽減し、様々な人が生きやすい未来に繋がっていく。そう訴えるTenさんの挑戦は、この先も続く。