2023年10月7日、パレスチナ·ガザ地区を実効支配するイスラム主義組織ハマスの戦闘員たちがパラシュート部隊などとしてイスラエル領内に越境し、地元住民や音楽祭の参加者たちを次々に襲い、1200人が死亡、250人が人質となった事件からちょうど1年となる。それ以降、イスラエルのネタニヤフ政権はハマス殲滅を”ノルマ”とした軍事作戦をガザ地区で開始し、この1年間のパレスチナ側の犠牲者数は4万人を超えている。これに対してアラブ諸国を中心にイスラエル批判の声が広がり、ハマスとの共闘を宣言するレバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派といったシーア派の親イラン武装勢力はイスラエルへの攻撃をエスカレートさせるようになり、当初はガザ地区という局地的だった紛争の範囲は、徐々に中東全体に影響を与えるような形で拡大していった。
また、4月のシリアにおけるイラン革命防衛隊幹部の殺害、7月のハマス最高幹部イスマイル·ハニヤ氏の死亡、そして9月のヒズボラ最高幹部ハサン·ナスララ氏の殺害などにより、イランが4月と今月にイスラエルへの直接攻撃に踏み切るなど、紛争の構図は徐々にイスラエルとイランの直接衝突という最悪のシナリオも現実味を帯びてきている。しかし、これまでの1年を振り返ると、確かに発端を作ったのはハマス側であるが、ネタニヤフ政権による強硬姿勢は国際法的にも同義的にも正当化されるようなものではなく、今日においてはイランの方が明らかに自制的、抑制的な対応に努めている。
では、なぜネタニヤフ氏はここまで強硬姿勢に徹するのか。周知のとおり、1933年から1945年までのナチスドイツ時代においては反ユダヤ主義が徹底され、国内ではユダヤ人の強制収容所が各地に設けられるなどし、強制労働や毒ガスによる大量殺害などが行われ、殺害されたユダヤ人は600万人(この当時欧州にいたユダヤ人の3分の2になる)に上るとも言われる。そのような過酷な経験の中、ユダヤ人の国家イスラエルが1948年に建国されたわけだが、イスラエルは建国から今日まで4回にわたる中東戦争を経験し、1979年のイラン革命を機に犬猿の仲となったイランから支援を受けるヒズボラやハマスといった敵が常に間近に存在してきた。また、イランはレバノンやガザ地区などを拠点とする武装勢力を軍事面で支援するだけでなく、良好な関係にあるアサド政権のシリアにも触手を伸ばし、シリア軍を支援すると当時にイラン革命防衛隊などイラン権益の拡大をシリア国内で強化するなど、イスラエルからすれば地中海は別として周囲を自らの敵に囲まれるというような状況にあった。
そうなれば、イスラエルの防衛や安全保障に関する意識が一般的に考えられるものよりは過剰になりやすいことは想像できよう。無論、政権によって国防意識には差異があるが、ネタニヤフ政権はその中でも保守色が非常に強く、「ホロコーストを経験したユダヤ人の国家は絶対に守らなければならない」、「第2のホロコースト(ユダヤ人の敗北)を起こしてはならない」、「そのためには敵を根絶するまで力を抜いてはならない」といった心理がネタニヤフ氏に働いていることが考えられ、この1年間の行動は客観的には”攻撃”であっても、ネタニヤフ氏にとっては攻撃以上に”自衛”なのである。無論、イスラエルによるこれまでの軍事行動は人道的見地から多くの問題があり、決して許されるものではないが、イスラエルの自衛という観点で今日の中東情勢を注視すると、米大統領選でトランプ氏が勝利するシナリオも含め、今後の動向が非常に懸念されよう。