新聞の記事下に掲載される広告は味わい深いものも多い。ちょっと気になるものも。手前みそを承知のうえで、5月17日の京都新聞朝刊18面に出ていた広告に目がとまった。
それは、京都新聞旅行センターの企画ツアー商品。
いつまでも元気な専属添乗員
井上明子さんと行く
私と一緒に元気の秘訣!
黒部川明日温泉へ行きましょ!
ちょっとポップな書体の宣伝文句のとなりに、にっこりほほえむ1人の女性の顔写真。簡単なプロフィルが添えられている。
「昭和60年より当社専属添乗員として勤務。以来、日本国内の色々な観光地にお客様と同行し、真心こめてご案内しております」
旅行ツアーの企画でここまで添乗員を押し出してくるとは。しかも昭和60年から専属添乗員ということだからキャリアは40年。相当なベテランであることには間違いない。
京都新聞旅行センター(京都市中京区)を訪ねた。担当の男性社員から井上明子さんの年齢を聞いて腰を抜かしそうになった。
87歳。しかも年間100日程度ツアーの添乗業務をしているのだという。社員が「鉄人です。ギネスブックに載るんじゃないか」と言うのも、あながち冗談ではないように思える。
後日、同じ場所で井上さんと対面した。背筋はぴんと伸び、とても80代後半には見えない。若輩の記者に深々とおじぎをして、「専属添乗員」の名刺を差し出した。「おしゃべりは下手なもんで」と笑って最初に断りを入れ、話を始めた。
京都新聞旅行センターの専属添乗員は3人いる。伏見区在住の井上さんはもちろんダントツの年長。仕事はツアー内容やスケジュールによって割り振られる。
年齢を考慮し、飛行機を利用する遠距離ツアーを担当することはもうなくなったが、「今でも若い方と変わらずお仕事をさせてもらっています。会社から添乗の依頼があれば、何でもOKと言っています。自分の好みでお仕事はしてません」ときっぱり。
実際、忙しく勤務している。5月は日帰りのバスツアーで立山の「雪の大谷ウォーク」に行った後、中1日で長野県の上高地へ日帰りで行ってきたばかり。
「雪の大谷ウォークはけっこう長距離。朝7時に京都駅を出て、帰ってきたのが夜の11時ぐらいだったかな」と明るく話す。
疲れませんか-。そう問うと、即座に首を横に振った。「私はなんともないですね。もともと添乗するのが好きで、お客さんと同じように1日過ごせますから」
井上さんの人生は、波乱に満ちている。生まれは昭和12(1937)年の東京。ほどなく戦争が始まり米軍の空襲を避けるため、母の実家がある京都市伏見区に引っ越した。小学1年生の時だった。
戦争で父を亡くし、「母親が女手一つで育ててくれた」という。兄と弟の3人きょうだい。井上さんは高校を卒業し、短期大学への進学を目指したが試験に落ちた。
浪人をする余裕は家にはなく、すぐに職に就くと決めた。見つけた求人が当時「陸のスチュワーデス」と呼ばれ女性の花形職業だったバスガイド。
高い競争率を勝ち抜いて京都市内のバス会社に就職。京都や奈良、大阪を巡る修学旅行生を相手にしたガイドを中心に、充実した日々を過ごした。結婚を機に退職するまで10年間働いた。
2人の子をもうけたが、早くに夫を病気で亡くした。生計を立てるため伏見区内の自宅を改修して喫茶店を始めた。
40代も半ばにさしかかったころ。店に来ていた観光関係のお客さんから「こんな仕事があるよ」と紹介された。それが添乗員だった。
「店をやっていても、どこかに(旅行業界に)戻りたい気持ちがあったんでしょうね。バスガイドの10年が楽しかったから」と振り返る。
旅程管理の資格を取り、1985年、京都新聞旅行センターの添乗員になった。いつも明るくほがらかに。40年間でいろいろな場所に行き、いろいろなお客さんと接してきた。
「旅行が好きで時間があればツアーに参加される裕福な方もいらっしゃいますが、こつこつお金をためて1年に1回家族で旅行をしようという方もいらっしゃいます。浮ついた気持ちではお仕事はできない。おひとり、おひとりのお客さんを大切にして楽しく過ごしてもらうのが一番ですね」
5月31日早朝の京都駅南口。井上さんは京都新聞旅行センターの旗とツアー名を書いた札を持って立っていた。この日は三重、滋賀方面の日帰りバスツアーの添乗業務。
「おはようございます」
張りのある声でツアー参加者44人を出迎える。ペンで書いた自作のバスの席割り表を見ながら、てきぱきと受け付けを済ませた。
「今度、黒部(のツアー)も行くし」。井上さんに親しく声を掛ける女性客がいた。7月の「井上明子さんと行く」1泊2日の黒部川明日温泉ツアーに夫婦で参加するという家高美奈子さん(65)=左京区=。
井上さんのツアーは何が違うのだろうか。その魅力はどこにあるのだろうか。
家高さんは「しっかりしたはるし、お話がおもしろい。なにせ元気。お年のこともあるけれど、目標となる女性です。こんなふうになかなか年を取れないでしょう」とまるでアイドルの追っかけのよう。「声がはっきりしていて、安心なんです」と、添乗業務への信頼ももちろん置いている。
出発前、井上さんはツアー参加者を集めてはきはきと自己紹介し、注意事項を伝えて観光バスに誘導した。
バス車内では狭い通路を歩き、すぐに全員の着席を確認。「44人、ハイ大丈夫」と口に出し、バスはほぼ定刻に出発した。
井上さんを前面に押し出した京都新聞旅行センターの企画ツアーは10年ほど前から売り出している。年に1~2回の限定企画で、「売り出したらすぐに満席になる」(担当者)という看板商品だ。7月7~8日に催行する黒部川の温泉ツアーも満席となり、急きょ7月末にも同じツアーを組んだ。
この40年、井上さんは大きな病気やけがはおろか、風邪もほとんどひいたことがないという。足腰も痛いところはなく、「悪いのは顔だけ」とおどけてみせた。
元気の秘けつは「この仕事が好きですから。大きな声を出してしゃべるのが体にいいのとちゃいますか」。それと、仕事終わりに行きつけの居酒屋で大好きなビールを飲み、おしゃべりをしていろんな話を仕入れること。
今年で米寿。添乗員人生はいつまで続くのだろうか。
「お客さんの後ろを歩くようになったら終わり。お金の計算ができなくなったら終わり。会社に迷惑をかけないように元気で仕事をさせていただけたらうれしいです」
言葉の端々にプロのプライドがにじみ出ていた。