子どもの貯金盗み体を売る女性、数億円を競馬に、超大手企業の社員も…ギャンブル依存症の闇 自助グループに出会い立ち直った男性が見たもの

長澤 芳子 長澤 芳子

現在メジャーリーガーとして大活躍している大谷翔平選手の元通訳である水原一平氏が起こした一連の事件によって、ギャンブル依存症に対する世間の関心も高まっています。「ギャンブル依存症は病気である」という認識が広がっているものの、一度依存症に陥ってしまうと、そこから抜け出すのは容易ではないという危険性については、もっと広まるべき情報だといえるでしょう。

そこで実際にギャンブル依存症と診断され、現在もギャンブル依存症と戦い続けるOさんに、立ち直るきっかけとなった自助グループについて話を聞きました。

普通の人と変わらない人たちばかり

ー自助グループとはどういうものですか

私が参加していたのは「ギャンブラーズ・アノニマス」(以下、GA)という自助グループでした。このグループは、自らを「経験と力と希望を分かち合って共通の問題を解決し、ほかの人たちもギャンブルの問題から回復するように手助けしたいという共同体である」と定義しています。

私が参加したGAでは、12のステップを通じてギャンブルを遠ざけ、「今日一日、最初(一回)の賭けに近寄らないこと」を継続する取り組みをおこなっていました。

ーGAの参加者にはどのような人がいましたか

GAのミーティングには大まかに、ギャンブラー本人だけが参加できるクローズドという形式と、本人の家族も参加できるオープンという形式の2種類のミーティングがあります。クローズドに参加していた人は、見た目には普通の人と変わらない人ばかりでした。年齢、性別、職業などはさまざまで、なかには一般に超大手の優良企業と評価される会社に勤務している人もいました。

オープン形式のミーティングには、本人が依存症であることを認めていない状況で、家族が参加するケースもありました。ミーティング会場の入り口で、依存症の自覚がなくミーティングへの参加を渋る本人と、ミーティングに参加してほしいご家族が言い争う場面を見ることも珍しくありません。

ーGAのミーティングでは具体的に何をするのですか

私が参加していたころは、まずGAのミーティングに出席すると「最初の90日間」の過ごし方に関わる冊子、12のステップが記された「回復のためのプログラム」と「20の質問」などが書かれた冊子、そして赤いキーホルダーが手渡されました。

12のステップの最初は、自分自身が依存症であることを認めるというもので、私たちはそれを「底つき」と呼んでいました。ギャンブル依存は否定の病といわれることから、自分自身がギャンブル依存症だと心底受け入れることが回復のための第一歩とされています。

なかにはギャンブルに手を出してしまう人もいました。回復の途中でギャンブルに手を出してしまうことを「スリップ」と呼んでいましたが、「仲間」はそれらも含めて受け入れてくれました。

ミーティングのなかで「20の質問」を読み上げることもありました。この質問は、ギャンブル依存症チェックになっており、一般の人であればほとんど当てはまらない内容になっています。20個のうち7個以上当てはまれば、ギャンブル依存症患者を意味する「強迫的ギャンブラー」だと言われるような内容です。

ミーティングの大半は、参加者の一人ひとりが自身の体験を話す時間です。参加者のほとんどは匿名で参加しており、それもあって赤裸々な体験談が語られます。参加者のなかには、ギャンブルをやめられず、ギャンブルの資金を得るために窃盗や横領という犯罪を犯し、刑期を終えたあとにGAに参加しているという人もいました。

立ち直ったきっかけは

ー立ち直るきっかけは何だったのですか

まずGAに参加したことで、自分と同じようにギャンブルから逃れられない人たちがいることを知ったのが大きかったです。それまではギャンブルをしてしまうたびに、勝っても負けても自分を責め、ひとり苦しみを抱えていました。

GAは言いっぱなし、聞きっぱなしが原則で自分の話しが論評されることはありません。GA参加者の体験談を聞くことで、ほかにも苦しんでいる人がいることを知り、自分の経験を吐き出すことで、自分が抱えていた荷物を少しずつ下ろしていく感覚に似て、ゆっくりと心が楽になっていった記憶があります。

ただ、完全にはギャンブルを辞められず、スリップを繰り返していましたが、ギャンブルに行く回数は明らかに減っていきました。

その次の段階として、ギャンブル依存症以外に熱中するものが見つかったことが大きかったと思います。勤務する会社で管理職に昇進したことで、外回りの営業から内勤での管理業務が中心になりました。それまでは外回り中にパチンコやスロットをやっていたのですが、外に出られなくなったので、毎日やっていたギャンブルが土日しかできなくなりました。

さらにその会社を退職し、独立起業してからは、土日関係なく働くようになったため、相対的にギャンブル熱が下がっていったのです。精神科の治療方法として、ギャンブル依存症患者の目を、別のものに向けさせるという手法があるそうですが、結果的に、私の場合はこの治療法と同じようなことを自分に課していたということになるでしょう。

ただ、ギャンブル依存症は完全に治癒することがないといわれています。私は今日一日やめ続けているだけにすぎないのだと思っています。

ー印象に残っているエピソードは

とある女性のお話でしょうか。彼女はギャンブルを止められず、なんとかして種銭を用意しようと、子どもの貯金を盗んだり、時には自らの体を売っていたと語ってました。見た目は全く普通のお母さんという印象で、そんな風には見えませんでした。その頃は参加歴が浅かったこともあり、ギャンブルって本当に怖いんだな、と強く印象に残ったエピソードです。

また、ある専門職の人は、資産運用や投資によって得た数億円の利益を競馬につぎ込み、老後資金を全て失ってしまったという話をしていました。彼は夜、家族が寝静まるのを見計らって、家の中や事務所に家族が隠したお金を探し集めていたそうです。ある時、いつものごとく事務所でお金を探し回っていると、暗がりから、「お父さん、もういいでしょう?」と奥さんに語りかけられたことをきっかけに「底つき」したとのことでした。

自分も含めて参加者の体験談を聞く限り、どんな人にもギャンブル依存症になる可能性は潜んでいるのだと感じます。もし自身がギャンブルをやめられず、そのことに苦しさを覚えているのであれば、自助グループに参加してもらえればと思います。

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