ペットショップで売られている犬や猫は、月齢が上がれば上がるほど値段が下げられていくのが通例です。この現状を犬も猫も分かるのでしょうか。値段が下がるにつれ、表情が卑屈になっていく個体も存在します。
そんな犬に心を寄せた50代の男性がひとり。大阪府のXさんです。Xさんはペットショップで「大幅値引き」とポップをつけられた犬ばかり4匹迎えていました。
果たせなかった使命
Xさんは犬の躾に慣れており、4匹は人間社会で幸せに暮らす術をXさんから教えてもらいました。毎日散歩もしてもらい、ご飯もたっぷり。どこからどう見ても幸せわんこです。まさかこの子たちが「大幅値引き」なんてポップをつけられていたなんて誰も思いもよらないでしょう。
Xさんは犬たちを幸せにし、虹の橋のたもとへ見送るのが自身の使命だと感じていました。全員を見送ってから、自身の終活を始めようと。
それなのに、2020年12月突然帰らぬ人となってしまいました。まだ60代前半の若さで。どれだけ無念だったでしょう。
遺された4匹の犬たちは、Xさんの家で暮らし続けながらXさんの兄弟の世話を受けることに。きちんとお世話をしてくれるものの、Xさんと同じようにとはいきません。
中でもビーグル犬のラッシュくん(当時4歳)は、掃除機に吠えたり人間を噛んだりし始めるように。これでは自分たちで世話はできないと、Xさんの兄弟は動物愛護団体に新たな飼い主を探してもらうべく、相談をしました。
太陽のような人の死
時同じくして2020年12月、大阪府のYさんの妻が50代後半で他界。家の中を明るく照らす太陽のような人だったため、遺されたYさんも長女も孫娘も心が沈みがちになってしまいました。
このままなら妻が浮かばれないと、Yさんは新たなことを始めることに。それは「犬を迎える」こと。今まで綺麗好きの妻がペット禁止を家族に命じていたため、家を建ててから約30年間、犬も猫もY家に足を踏み入れたことがありません。
妻はもういないということを受け入れるためにも、犬を迎えよう。Yさんは早速、里親募集サイトなどで犬を探し始めました。気になる犬には会いに行き、動物愛護団体のシェルターにも足を運びました。しかし、「これぞ」という犬とは出会えません。
そんな時、動物愛護団体から紹介されたのがラッシュくんです。妻と同時期にXさんが亡くなったと聞き、運命的なものを感じました。Yさんはラッシュくんにぜひ会わせてほしいと頼み、お見合いが開催されることになりました。
運命の出会い
ラッシュくんとのお見合いの会場は、動物愛護団体のシェルター。Y家は全員で参加です。ラッシュくんはXさんの兄弟が連れてきてくれました。ドキドキのお見合い、Yさんは一目でラッシュくんを気に入ります。ラッシュくんもまた、Xさんと同年代のYさんに親近感を抱いたよう。
お試しでY家の人たちだけでラッシュくんのお散歩をさせてもらったのですが、心配された無駄吠えも噛み癖もありません。むしろ、よく躾を受けていると分かるお利口さんです。なんと、Yさんが歩きやすいように歩調を合わせてくれるんですよ。
ラッシュくんを気に入ったY家は、その場でトライアルの申し込みをします。Xさんの使命も受け継ぐつもりで、申し込みをしました。自分たちはラッシュくんの幸せ係の後任者だと。
帰宅後は逸る気持ちをおさえつつ、お迎えの準備です。準備の最中、新しい名前を付けることも検討されました。ところが、ラッシュくんを思い出すと「ラッシュ」という名前しか浮かんできません。これに気づいた時、Yさんは思ったんです。
「前任者が最適な名前をつけてくれた」
禁忌を破って初めての犬
2021年5月31日、約30年間ペット禁止だったY家に初めての犬、ラッシュくんがやってきました。Yさんは自分の家に犬がいることが新鮮で、今は離れて暮らしている長男に喜びの電話をかけました。犬を迎えたと伝えると、長男はビックリして言ったんです。
「母さんが怒るぞ!」
その「母さん」がいないことを受け入れるために、犬を迎えたのにね。
さあ、ラッシュくんは妻が生きていたら怒りそうなことばかりせっせと行います。人間は噛みませんが、クッションや椅子の背もたれはガブガブ。思わず廊下でダッシュをしてしまうと、床は傷だらけ。壁もラッシュくんの背が届くところは、所々傷がついてしまいました。
それまで画鋲すら壁に刺すことを禁じられていたYさんは、これを見て妻を思い出すんです。「ああ、怒りそう」「すっ飛んできて片づけそう」などなど。そんなことを笑いながら言い合います。
いつの間にか妻は、家族の悲しい別れの記憶ではなくなっていました。想い出になっていたんです。そうしてくれたのは、ほかならないラッシュくん。
最重要ミッション「ラッシュを幸福に」
このようにY家に笑顔をもたらしたラッシュくんはというと、Yさんと毎日散歩に行き、テレビを見て、ゴロゴロして過ごしています。それが最初から決まっていた日常だったかのように。Yさんはそれが嬉しくて、ラッシュくんをとても可愛がりました。
そんなある日のこと。Yさんに大きな病気が見つかります。幸い手術で完治するものでしたが、数カ月間入院生活を余儀なくされます。その間、ラッシュくんのお世話は長女がすることに。
Yさんはとても心配でした。長女のお世話が不十分だからではありません。ラッシュくんがまた置いていかれると思わないかということです。
YさんはXさんと面識はないものの、ラッシュくんを託された「後任者」としての使命を感じていました。ここで逝くわけにはいかない。懸命に病と向き合いました。最重要ミッション「ラッシュを幸福にする」を遂行するために。
そのかいあって、Yさんは無事退院。予後もお医者さんがビックリするほど良いんです。
幸福な犬と家族
現在、Yさんは1日に3回、ラッシュくんとお散歩をしています。雨の日も風の日も欠かしません。よく歩くもんですから、ご飯が美味しい!たくさん食べます。夜もぐっすり眠って、退院後は健康そのもの。同年代と比べても生き生きしています。
長女も時々お散歩をしますが、やっぱりラッシュくんはYさんが良いみたい。ラッシュくんってば、長女のことはサポート要員としか思っていないよう。毎日ご飯を用意してくれているのにね。
まさか家族を見送った2020年12月の時点で、Y家の人たちもラッシュくんもこんな笑顔あふれる日々が訪れるとは思いもよりませんでした。合縁奇縁、どこで素敵な出合いがあるか分かりません。
どうか、XさんとYさんのミッション「ラッシュを幸福に」が無事遂行できますように。