現場でパニック状態になった石原さとみ
—石原さとみさんが演じる沙織里のキャラクターがなかなか強烈で、観客に安易な感情移入や“悲劇の母”というレッテル貼りを許しません。
「暴れまくってますからね。最初の40分くらいは観客全員が沙織里のことを嫌いなんじゃないですか。もちろん、それはわかっているんですよ。だから後半で取り返さなきゃいけない。ところが、撮影していて辟易するくらい沙織里が手に負えなくて、どうしよう、俺まだ嫌いなんだけど(笑)、これ本当に取り返せるのか!? という不安はずっとありました」
—石原さんの本作にかける気迫には圧倒されます。特に「娘が見つかった」と聞いて警察署の階段を駆け上がっていく一連のシーンが白眉でした。
「狂っちゃってますよね。あれ、現場で笑っちゃったもん」
—笑った?
「だって、彼女があまりにも壊れているから。映画に使っているのは確か3テイク目なんですけど、2テイク目くらいで俺が『もう少しこうしてほしい』とオーダーしたことで頭が真っ白になっちゃったみたいで。パニックになった結果、俺のオーダーと全く違う演技のアプローチで階段を上がってきたんですよ。まさかあんなことになるとは思っていなかった(笑)」
普段からタレントみたいで、生々しさがない
—石原さんは自分から吉田監督の映画に出たいと直談判してきたんですよね。思い入れが強すぎたのでしょうか。
「彼女は俺のことを勘違いしていると思う。彼女みたいなぶっ壊れた演技なんて、俺の映画では誰もやっていません。俺の映画のトーンに合う人を俺が使っているだけなので、みんなもっと普通に、淡々と演じています」
「むしろ必要なのは余計なものを削ぐ作業。例えばテレビのドラマにたくさん出ている人は演技がちょっと大袈裟になりがちなので、楽屋で話しているくらいのテンションに抑えてもらう。ところが石原さんって、プライベートがすでにドラマっぽいというか、生々しさがあんまりないんですよ。『もっと普段通りの感じで』と言いたくても、普段からタレントみたいだからそもそも伝わらないし、手に負えないわけ。だから撮った映像で俺たちが“そう見せる”しかない、その手法で何とか作っていこうとあれこれ試行錯誤しているうちに、石原さんがどんどん壊れていったんです」
迷走する主演女優、現場が回らない…!
—石原さんは最初、弱り切った状態で現場入りしたと聞きました。
「弱っているというより、真っ白。スタート位置に着いてあとは走るだけなのに、肝心の走り方がわかっていないような状態でした。演技のギアが全然違うので、強弱などの調整もできなくて、なんでもない台詞ですらひたすらドツボにハマるから現場が回らないわけ。ゾッとしましたね」
—石原さんも吉田監督も、何も見えないまま走り出したわけですか。
「でも、映画って全部そうですよ。全ての映画のスタートは“賭け”。例えば仲良しの2人がいて、最後に仲が悪くなるというストーリーがあるとして、中盤はどれくらいのテンションなのかなんてわからないでしょ。それでクランクインするんだから、やっぱりギャンブルです。あとは監督の手腕というか、“読み”にかかってくる。まあ俺は自分でホンを書いているので基本的に間違うことはないんだけど、それでも毎回ものすごく不安ですよ。オッケー!と笑顔で言いながら、内心めっちゃくちゃ不安(笑)」
「なのに、今回は石原さんがそれどころではないレベルの不安に潰されそうになっていて、他の人の何十倍も俺に『今ので合ってますか?』『大丈夫ですか?』と必死に確認してくるんです。そんな形相で目を見て言われても、俺だって正直わからないんだよね(笑)」
「石原さとみはこの作品で女優賞を取る」
—その甲斐あってか、石原さんは完成披露試写会でステージに立っただけで泣いてしまうほど「ミッシング」が特別な作品になったようです。大阪の試写会でも、「大袈裟ではなく本当に命がけで取り組んだ作品」と万感の思いがこもった挨拶をしていました。
「よかったなあとは思いますが、彼女が現場で勝手に新しいスタイルを始めただけなんですよ。俺としては、石原さとみから生まれる“何か”をキャッチャーのようにしっかり受け止める…そんな気持ちでした。もう一回こんな映画を撮れと言われても、多分無理でしょう。『ミッシング』で石原さんがどこまでやれるのかがわかったので、次にそのレベルを想定して撮ったとしても、もうそれは奇跡ではないですからね」
「この映画で、石原さんはいろんな賞を取ると思う。一緒に走り切ったという感覚があるので、そうしたら救われる。賞をもらうのってベタなことかもしれないけど、それでも『誰かに届いた』ということですから。俺は彼女のことを素晴らしいと思っているし、もちろんすごく褒めてもいるけど、それが他の人たちにも伝わったという証しが欲しい」
—一緒に走った、というのはいいですね。
「あとね、石原さとみのことをみんな舐めてると思う。俺も舐めてた。石原さとみって、そこまでではないだろうと思ってた。でもね、彼女は演技に関して本物でしたよ。狂っていたと言ってもいい」
「第一線を走り続ける女優が『自分に飽きたから壊してほしい』と言ったって、まあ彼女には彼女なりの苦しみがあるのはわかるけど、それでも俺の周りには台詞ひとつ勝ち取っただけで大喜びするような売れない役者がめちゃくちゃいるので、余裕がある人間の気まぐれにすら聞こえちゃうわけ。それでも、彼女は頑張った。本当によく頑張った。映画を見たらそれはちゃんと伝わると思うんだよな。公開されたら『石原さとみの見方が変わった』みたいなレビューを漁りたいよ(笑)」
—でも今年は他の日本映画も強そうです。
「確かにそうだけど、敵が強ければ強いほど圧勝したら4団体統一王者みたいでかっこいいじゃん。誰でもタイマン張るよ!ていうくらいの気持ちでいますけどね。作品賞とかは審査員の好みがあるのでわからないけど、女優賞に関しては相当強いと思う。石原さんが取ってくれたら、俺の株も上がるかな(笑)」
【吉田恵輔】1975年生まれ、埼玉県出身。2006年、「机のなかみ」で長編映画監督デビュー。以来、「さんかく」(2010年)や「ヒメアノ〜ル」(2016年)、「空白」(2021年)、「神は見返りを求める」(2022年)など数々の衝撃作を世に放ち、「人間描写の鬼」という異名も持つ。
◇ ◇
「ミッシング」は5月17日(金)全国公開。