【日本三大酒どころ】灘、伏見、西条のはざまに、岡山あり! 原材料に恵まれ、技術もあるのに、なぜ影が薄いのか…歴史を解き明かす特別展

山陽新聞社 山陽新聞社

 秋の夜長、そして寒い冬はゆっくり日本酒を飲みたくなる。そろそろ新酒の声も聞こえてきそうだ。日本三大酒どころといえば、灘(兵庫県)、伏見(京都府)、西条(広島県)だろうが、その間に挟まれた岡山県も、知る人ぞ知る美酒の産地であるという。岡山県立博物館(岡山市北区後楽園)が初めてお酒を正面から取り上げた特別展「醸す-自然と技術が育んだ岡山のお酒-」を訪ね、企画した木下浩学芸員の案内で、その歴史と魅力に触れた。

 日本三名園の一つ、後楽園の正門真向かいにある岡山県立博物館。そんな立地もあってか、かつて酔っぱらった観光客に悩まされたという話を耳にしたことがある。そこで酒をテーマに特別展を開くとは驚きだ。2回の展覧会場の入り口には慶事でよく見る四斗樽(たる)がずらり。協力する県内の酒蔵から計35個が寄せられ、酒造関係者の特別展への期待もうかがえる。

 博物館らしく、まずは岡山の酒の歴史をたどる。最古の展示物は岡山市の百間川原尾島遺跡から出土した須恵器杯で、墨で「酒」の字が書かれている。また、奈良時代に成立した最古の和歌集・万葉集に収録された、丹生女王が大宰府(現福岡県)の長官大伴旅人に贈った歌に「古人の 食(たま)へしめたる 吉備の酒 病めばすべなし 貫簀(ぬきす)賜らむ」とある。奈良といえば、平城京には酒を造る役所「造酒司」が置かれ、春日大社にも酒殿があった。なのに、わざわざ「吉備の酒」と詠まれていることから、奈良時代に岡山で酒が造られ、平城京にも名声がとどろいていたことが分かる。

 中世の資料は乏しいが、近世になると現在の岡山市、矢掛町、和気町など県内各地で酒を醸造していた記録が残る。この時代に清酒の製法もおおむね確立したそうだ。展示室には酒造りの道具もそろう。圧倒的な存在感を放つ「六尺桶」(重量約300キロ)はもろみ仕込みに使うもの。そのほか、洗米、蒸米、こうじ造り、もと造りなど各工程に独特の道具がある。同じ酒袋にもろみを入れる桶でも、先がとがったのは「きつね」で、丸いのは「たぬき」というのは面白い。もろみから酒をしぼるのに使う「しぼり槽」は1階に置かれていたが、重量500キロ以上とさすがに巨大すぎて展示室には入らなかったとか。水も漏らさぬ緻密な造りは「ふね」と呼ばれるだけのことはある。

 さて、日本酒の原材料は何かご存じだろうか。基本は米、こうじ、水。そこに岡山の強みがある。酒造好適米といえば、西日本は「山田錦」、東日本は「五百万石」がメジャーだが、共通の先祖「雄町」は岡山発だ。1859年ごろ、現在の岡山市中区雄町の農家が鳥取県・大山に参拝した帰りに見つけ、栽培したのが始まりという。食用米に比べて大粒で、心白というでんぷん質の部分が大きく、吸水性に優れるなど、酒造りに最適な一方、背丈が高く倒れやすいことから一時は生産量が激減した。岡山の酒蔵が中心になってよみがえらせたが、生産量は山田錦の1割にも満たず、岡山県産が95%を占める。県外の酒蔵でも雄町を使いたいところは多く、雄町の酒だけが集まる雄町サミットは14回目の今年、全国121社が出品し、オマチストと呼ばれるファンが詰めかけた。

 一方、雄町一色にはならないのが面白いところ。意外なことに山田錦の生産も兵庫県に次ぐ2位が岡山県。さらに食用米のアケボノや朝日で醸す蔵も多い。そう、岡山の酒は米からして多様なのだ。水も吉井、旭、高梁の3大河川に恵まれ、全体に軟水が多いものの、北西部のカルスト台地からミネラル豊富な中硬水も流れ出す。

 そして、酒造りの技術者集団・備中杜氏(とうじ)がいた。大正~昭和初期に存在したとされる「私立備中清酒醸造学校」の学則や設立認可申請書は初公開。杜氏養成学校は日本初とされ、杜氏個人の経験で伝えられてきた醸造技術の水準の底上げにつながったことは間違いない。また、備中杜氏が県内外の蔵で醸した酒を持ち寄り、競い合って技術も高める機会も多かった。備中杜氏自醸清酒品評会の最優等カップは銀製で、各回の受賞者名を記すペナントリボンからは、1909年の初回から106回を数える歴史の重みが伝わってくる。

 原材料に恵まれ、高い技術もある。なのに岡山の酒は影が薄いのはなぜか。その一因と考えられるのが平成初期まで行われていた「おけ売り」だ。地方の酒蔵が自社の酒を大手メーカーに売り、大手はブレンドなどで味を調えて自社製品として販売する仕組みで、戦後、日本酒消費量が増える一方、各蔵への原料米割り当てによる生産統制が続き、灘や伏見の大手は売れるのに売る酒がない状態から生まれたらしい。つまり、全国で「灘の酒」と思って飲まれていたものが、中身は岡山の酒ということもあったのだ。

 1970年代をピークに日本酒の需要は減少。一方、生産の自由化や95年の阪神大震災で被災した灘のメーカーが再建する際、大規模な製造ラインをつくったことで、「おけ売り」はほぼなくなった。輸送コストのかかる東北や北陸の酒蔵はいち早くおけ売りから離れ、地酒ブームに乗ってブランドの確立を進めた。一方、岡山は灘・伏見に近いこともあって最後までおけ売りが残り、自社ブランドでの販売が周回遅れになったことは否めない。

 1枚の手ぬぐいの前で、酒造関係者はみな足を止めるという。179の銘柄が並ぶが、現存する銘柄はいくつもない。銘柄を変えて続いているところもあるが、博物館に置いてあった岡山県の酒蔵マップに載る製造場は33しかない。

 「アピールは下手かもしれないが、歴史的にも文化的にも面白い。おけ売りの時代はマイナスに評価されがちだが、安定して一定品質の酒を生産する実力があったから続き、今は多種多様な酒が生まれている」。岡山の酒をそう評する木下学芸員が気になることを教えてくれた。「岡山で飲まれる日本酒のうち岡山産はわずか2割」だと。そういえば店でも県外の酒を薦められることが多いかも。吉備の酒がありがたがられた奈良時代に思いをはせながら、今夜は岡山の酒を飲んでみようかな。

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 特別展は12月3日まで。月曜休館。

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