地元で愛された母の巻き寿司、脳梗塞で倒れ… 味を受け継いだ夫婦、批判されるも「ニャン度」を追求し続けると?

西松 宏 西松 宏

熊本県菊陽町内の農産物直売所で販売されている、猫をモチーフにした巻き寿司「ねこ巻き」と「招きねこ巻き」、いなり寿司「ねこいなり」が、「ニャンともかわいい」と注目を浴びている。製造販売しているのは板楠誠司(せいし)さん(57)、紀子さん夫婦が営む「みえこ工房」。猫が大好きで現在4匹と一緒に暮らす夫婦は、同町で愛されてきた母親の作る巻き寿司の味を継承し再現。地元では「見た目の可愛さだけでなく、昔ながらの懐かしい味がして美味しい」との声が聞かれ、町の人たちを笑顔にしている。

誠司さんの母・ミエ子さん(85)は、30年ほど前から同町内の国道沿いのビニールハウスで野菜などと一緒に手作りの巻き寿司を販売してきた。卵焼き、人参、干瓢、紅生姜、たくわん、椎茸、ほうれん草などを酢飯で巻き、ちょっぴり甘いミエ子さんオリジナルの巻き寿司は、誠司さんにとっては運動会や卒業式など行事のときに必ず食べる、幼いころから慣れ親しんだ「おふくろの味」だった。

ミエ子さんは日頃から同町の農産加工グループで食育活動などにも熱心に取り組み、2008年11月には、各地域で郷土の伝統料理などについて卓越した知識、技術を持つ人を県が認定する「くまもとふるさと食の名人」に選ばれた。彼女が作る町特産の人参を使ったケーキやこの巻き寿司は、町の人たちにとって人気の一品だった。

そんなミエ子さんが突然、脳梗塞で倒れたのは10年前のこと。療養のため長期入院することになると、彼女の巻き寿司は食べられなくなってしまった。ファンだった人たちは「また食べられるだろうか…」と気を揉み、「もう一度食べたい」と願った。そうした地元の人たちの声を受けて、誠司さん、紀子さん夫婦は「ならば僕らが引き継ごう」と決意した。

だが、「母の味を再現するのはすごく難しく、試行錯誤の連続でした」と誠司さんは振り返る。紀子さんも「義母のお見舞いに行ったとき、ノートも持参し、どうやって作っていたかレシピを聞き出そうとするのですが、義母は『青い湯呑みに酢を1杯』とか言うし…。青い湯呑みってどれなんと(笑)。まずはそんなところからのスタートでした。にんじん、椎茸、干瓢などの具はそれぞれ義母なりの炊き方があるんですよ。そこで調味料の配合を一品ずつ聞き出し、それらを合わせて巻いてみるのですが、それぞれの具の味つけと酢飯とのバランスがバラバラだったりして…。塩加減や煮るときの火加減ひとつでも味は変わりますからね。何度やってみても義母の味を再現できませんでした。

ミエ子さんの巻き寿司をよく食べていた知人から「まだまだやけど、近づいてきたね」と言われるようになったのは、それから1年が経ってから。そのころ農産物直売所ブームが起き、夫婦はまだ未完成ながら、自分たちが作った巻き寿司を直売所に並べた。当時、巻き寿司は人気だったため、次第に大手も参入。その結果、競争が激化し、商品が全体的に余り気味になり、最初は完売していた夫婦の巻き寿司も、次第に売れ残るようになってしまった。

「どうしたら他との差別化ができるかを考えていたとき、ちょうどキャラ弁が流行りだしたころで、具の卵焼きをハート形にしてみたら好評だったんですよ。そのうち試食して頂いた方から『ハートしかないの?もっと他の形のものがあったらいいのに』と言われ、それならとひらめいたのが猫の顔だったんです」(誠司さん)

というのも、誠司さんは小さいころから家では「猫がいない時期がほとんどない」ほど、ずっと猫と一緒に暮らしてきた。紀子さんも猫好きだ。24歳まで生きた愛猫を看取った後は保護猫を引き取ったり地域猫の面倒をみたりして、夫婦は現在、4匹の猫と一緒に暮らしている。猫たちと過ごしていたあるとき「卵焼きのハート形を変形させて猫の顔にしてみよう」とのアイデアが誠司さんの頭に思い浮かんだ。

それで誕生したのが「ねこ巻き」だ。ただ、その頃から世の中はコロナ禍に。同町内の直売所も客足は遠のき、売上は一層悪化した。「食べ物で遊ぶな」「そんなことをして何になる」などといった批判の声が寄せられたのもそのころだった。

しかし、夫婦はそんな逆風にもめげず、ねこ巻きのクオリティをもっと高めようと切磋琢磨を続け、新たに海苔で描いた猫の顔をいなりに貼りつけた「ねこいなり」と、余った卵焼きで、猫が右手もしくは左手をあげて金運や人を招く様子を表現した「招きねこ巻き」を開発。

次第にお客さんたちから「コロナでどこにも行けなかったけど、これが食卓に並ぶと家族みんなが笑顔になって、おうち時間が楽しくなる」「ごはんを食べなかったばあちゃんが、『可愛いねえ』と一切食べてくれた」「孫へのお土産に買っていったらすごく喜ばれた」「人参や椎茸嫌いだった子どもが食べられるようになった」といった喜びの声が、夫婦のもとへ寄せられるようになった。

「母の味を再現できたと確信を持てるようになるまでに5年ほどの歳月を要しましたが、猫の力も借りて、母の巻き寿司をこうして継承することができました。地域のみなさんが喜んで食べてくれていると聞くと、感謝の気持ちが溢れてきます」と誠司さんは微笑む。

実はミエ子さんも母・ツル子さん(享年86、誠司さんの祖母)から味を受け継いだそう。現在、ミエ子さんは元気になり、息子夫婦が作る巻き寿司を喜んで食べるという。誠司さんは「すでにレシピを数値化し、後継者ができたときのために準備しています。祖母、母、私たちと3代続くこの巻き寿司は、私にとっては食べた瞬間、懐かしい時代に戻れるタイムマシーンみたいなもの。これからもずっと守っていきたいです」と話す。

夫婦は毎朝3時に起床し、ピンセットなども用いて手作りする。そのため、いくら頑張ってもたくさんは作れない。誠司さんの両親の介護をした後に直売所(9時開店)へ届けるため、入荷は10時半から11時頃になる。「それでも楽しみに待っていてくださる方がいるのが嬉しい」と紀子さん。地域&数量限定販売のため、現在は地元の人でも買えたらラッキーという感じだそうだが、「ゆくゆくは自分たちの店を持って販売するのが今の目標です」と誠司さん。地域の人たちを笑顔にし、幸せをもたらす猫の巻き寿司。熊本・菊陽を訪れたときは、一度食べてみにゃっせ。

「みえこ工房」のインスタグラムは @miekokobou
*熊本県菊陽町にある「さんふれあ」「きくちのまんま菊陽店」にて販売中(通信販売はしていません)。

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