「中3の夏休み明けから不登校」になったというXユーザーの絶対茄子(@Nazn24)さん。部屋の片づけの最中に出てきたのは、前日を振り返って気づいたことを記入する中学時代の冊子でした。当時は悩みながら自宅学習していた時期。ノートを開くと、本来白紙であるはずの日々の欄には担任の言葉が並んでいました。「頭痛大丈夫か?」「勉強進んでるかい?」と生徒を思う言葉の合間に、「今日の給食はラーメンです。うれしい」「昨日書けなかった!!すまん!」と書かれた日も。担任の先生、きっとすてきな人なんだろうな。
「中学の時、朝学校に来たら前日の振り返りを書くルールがあったんだけど、中3の夏休み明けから不登校になって書かなくなった。今その冊子を見つけたらコレ。担任の先生がずっと書いててくれたらしい。」と冊子の一部を公開した投稿に、「何かいい.....教えてくれてありがとうございました。」「優しい先生ですね 僕も不登校の時担任の先生に良くしてもらい救われました」「私は親側ですがなんか泣けてきました」などのコメントが寄せられています。
以前から集団行動が苦手で周囲と上手になじめなかったという絶対茄子さん。一方、先生からの期待が大きく、その差に疲れていました。両親との関係にも苦しみ、「進学先についてたくさんもめました」(本人)。学校が嫌になり、勉強時間を十分に確保しようと不登校を選択。進学については、願書を提出する直前、「全日の公立高校と私立高校の2校に合格すれば、通信に行ってよい」の条件で落ち着いたそうです。現在北海道に住む絶対茄子さんに聞きました。
「一番響いたのは何気ない言葉」
ーー冊子の写真を見ると1月中下旬と2月上旬です。このころは
「学校に行ってない罪悪感と絶対に受からないと行けないプレッシャーからよく眠れない毎日が何カ月も続きました。理解してくれる友達とそうでない友達もはっきりしてきて心身疲労してました。でも勉強をしないと始まらないので、辛くてもなんとか勉強していました」
ーー担任の先生、どんな人ですか
「家庭科の男性の先生です。いつもニコニコしていて、墨で「愛」と書いた紙を黒板に貼るなどしてました。低気圧などで僕が頭痛に苦しんでいると真っ先に気づいてくれてたくさんのアドバイスをくれました。生徒への熱量がすごかったです。野球部の面倒を見ていました」
ーー先生の言葉を読み返して一番響いたのは
「何気ない会話の「寒いなあ」ですかね笑。みんなとは外れて学校に行かなくなり、人とは違う通信という選択をしたので、何気ない言葉が先生の一番の気遣いだったのかなと思います」
ーー卒業後にお会いしたことは
「学校に遊びに行った時にほんの少しだけ会いました。髪の毛を染めたり、ピアスを開けたりして、僕は容姿が少し変わった部分があります。久々に会った大人たちはみんな驚いた様子でしたが、先生はいつも通りに話しかけてくれました。直接の言葉ではありませんが、それがとてもうれしかったです」
「道外の大学を受験します」
「それまで生きてきた中で一番辛い期間でしたが、今では良い思い出です」と当時を振り返る絶対茄子さんは、道外の大学を受験することを考えています。あらためて勉強に集中する環境にしようと、妨げになるものを片付けているとベッド下にしまっていた通知表とともに冊子を見つけたそうです。
「元気にやってるかー?」「受験ファイトだ!」という恩師の熱い言葉がそこにありました。