ナビやスマホの地図アプリを頼りに目的地に行くことが多い今、地図をじっくり見ることも少なくなりました。でも「じっくり見る」と、こんな発見をすることも。
「さきほど、にわかには信じられない細長の境界に出会いました。この境界ご存じでした...?」と画像を投稿したのは、株式会社ゼンリン(@ZENRIN_official)。そこには、大阪市の細い細い土地が明記されていました。
ゼンリンのSNSご担当者にお話を聞きました。
ーー普段から地図の細かなところをご覧になるのですか。
「当社X(旧Twitter)アカウントでは、地図を読む楽しさをお伝えするために、地的『地図地理~(当社造語)』なネタを日々ポストしています。ネタを探すため普段より当社の住宅地図をチェックするようにしています」
ーーこの細い境界は新発見でしたか。
「私にとっては新発見でした。地元の方や境界がお好きな方にとっては周知のポイントだったかと思います」
ーー矢田村は、「阿麻美許曾神社」の参道をどうしても残したかったのでしょうか。
「大和川自体はあったそうですが、江戸時代に現在の形に付け替えを行ったようです。その時に村の氏神である神社と参道を切り離さず、残したのだと思います」
ーー地図からそこに暮らしていた人の様子が分かることはありますか。
「地図と歴史は深く関係していると思います。境界のみならず、地名や当時の住民のみなさんの息づかいを垣間見られるシーンは多いですね。例えば、江戸時代、現大阪市西淀川区佃の住民が、徳川家康の命で江戸へ移住して築島したのが佃島。そこに創建された住吉神社が佃煮の発祥です。そして現在、大阪の佃小学校と東京の佃島小学校が姉妹校になっています」
投稿を見た人からは、
「おおっ、ここは⋯注射針、じゃないですか!(地理ヲタで、知っている人は、知っている)道路だけが大阪市っていう、謎エリア(?)です⋯」
「面白いのが、そこらへんの飛び地(瓜破南除く)は大阪市なのに、市外局番が06ではなく072なんですよね。」
「よく見ると家の半分だけ東住吉区っていうお宅もありますね。」
など、たくさんの反響があり、「いいね」は2.1万件にもなりました。
ゼンリンが運営するゼンリンミュージアムには、「地図から歴史を紐解く」をテーマに、様々な歴史的な地図が展示されているそうです。ぜひ一度足を運んでみてください。