東北の秘湯で出会った歴史の傷跡。玉川毒水のいまに触れて~その1~鉄爺旅の徒然#9

沼田 伸彦 沼田 伸彦

 この話を書くにあたって、まずは不明を恥じなければならない。

 これから紹介する、地域社会を根底から揺るがすような裏面史の存在を知ることなく過ごしてきた。それはその事実を語ることがどこか憚られてきたせいなのか、あるいは自らの感度の鈍さのせいなのか。いずれにしても、初めて知る玉川毒水の歴史はとにかく衝撃的だった。

 舞台は秋田県中西部の山間地域。主人公の存在は恐らく知らない人はいないはず。玉川温泉と田沢湖だ。

玉川温泉は日本一の強酸性泉を毎分9000リットルも湧出する。谷間にもうもうと水蒸気が立ち込める奇景を写真で目にした人は少なくないはずだ。ガンに効くという風評も高く、実際私の知人が治療目的でここに通っていたことがある。その強酸性度は凄まじい。PH(ペーハー=水素イオン指数)は1.1~1.4と言われ、わかりやすくいえば酢がそのまま湧き出ているようなもの。この湯に鋼の包丁を一晩浸しておくと、溶けてなくなってしまうのだそうだ。

その玉川温泉を訪ねたのは5月中旬のことだった。友人のグループで東北の秘湯をいくつか訪ねた。ただ2泊3日のその旅行で、玉川温泉は目的地に入ってはいなかった。岩手県の八幡平から次の目的地を目指して秋田県の田沢湖に向けて下るドライブの途中、たまたま「玉川温泉」という看板が目に入り、思わずハンドルを切った。

駐車場に車を停めると、目の前に写真ではおなじみの光景が広がっていた。駐車場には車が溢れていた。心を残しながら、そのまま次の目的地に車を走らせた。この時点では、まだその「毒水」と呼ばれる酸性水が地域にもたらした惨禍について知る由もなかった。

事情が変わってきたのは、田沢湖に向かう道すがら、整備された道路の右手に「宝仙湖」という湖が見えてきたあたりからだった。同行の友人が、その湖水の異様な色に声をあげた。

 それにつられて一同が目を向けた先には、鮮やかなエメラルドグリーンを湛えた湖面が広がっていた。よく言えば美しい。しかしその色はあまりに鮮やか過ぎて無機質に感じられた。停まることなく走る車の中で、友人のひとりがスマホを開いてそのエメラルドグリーンの秘密を解き明かしてくれた。そこで一同が初めて知ったのが「玉川毒水」というおぞましい河水の存在だった。

 玉川温泉で湧出した豊かな量の酸性泉は、渋黒川という川に流れ込み、やがては玉川に合流する。支流の合流などもあり、水の酸性度は徐々に薄まりはするが、それでも生物が生息できるような環境には程遠い。川の中に微生物、魚類が生息できないばかりか、流域には農作物も育たない。有史以来のいわゆる死の川だったのだ。

 異様なまでの鮮やかさのエメラルドグリーンの秘密もそこにあった。微生物がいないため透明度が高いという説もあれば、水が多量に含むアルミニウムの粒子が浮遊しており、それが波長の短い青い光を散乱させているのだという説もある。いずれにしても、一同が一瞬にして魅入られたエメラルドグリーンは、生き物を寄せつけない魔の水が被った仮面だった。

 このあたりになると、一同の興味は玉川毒水の歴史から離れられなくなってきた。一体、この玉川温泉に端を発する水は、この地域に何をもたらしてきたのか。地域はその宿命にどう向き合おうとしてきたのか。

 車はほどなく日本一の水深を誇る神秘の湖、田沢湖の湖岸に到着した。(この項つづく) 

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