2023年度末に北大阪急行電鉄の延伸線(千里中央~箕面萱野)が開通します。新線が開通するのはめでたいお話ですが、筆者のみならず「なんで御堂筋線が千里中央、箕面萱野に延伸しなかったのだろう」と思っている方は多いのではないでしょうか。その疑問を解き明かしたいと思います。
千里ニュータウンの足、北大阪急行電鉄
北大阪急行電鉄は南北線5.9kmを有する阪急阪神ホールディングスの連結子会社です。南北線は江坂~千里中央間を結び、大阪メトロ御堂筋線と相互直通運転を実施。運行形態は御堂筋線と一体となっています。
開通は大阪万博が開催された1970年のことで、もともとは大阪万博へのアクセス線として建設されました。万博輸送を引き受けたので、建設費を早々と償還。その結果、初乗り運賃100円という超激安運賃となっています。
万博終了後は大阪市中心部と千里ニュータウンを結ぶ通勤・通学路線としての役割を果たしています。終着駅の千里中央駅は千里ニュータウンの中央に位置し、大阪モノレールと接続する交通の要衝です。
現在、千里中央駅から箕面萱野駅までの約2.5kmを延伸する工事を行っています。新駅として箕面萱野駅の他に中間駅となる箕面船場阪大前駅を開設。箕面萱野~梅田間は24分で結ばれます。
地下鉄延伸をめぐる府と市の対立
それでは、なぜ、大阪メトロの前身である大阪市交通局は御堂筋線を延伸しなかったのでしょうか。なぜ、北大阪急行電鉄が設立されたのでしょうか。
話は千里ニュータウンの建設を進めていた1960年に遡ります。大阪府企業局は大阪市に対し、御堂筋線の延伸を要請。府は阪急千里線だけでは輸送力の限界に達すると考えていました。
市はいくつかの問題点を提起しましたが、この時点では延伸を前向きに捉えていました。1963年に発表された市の計画では江坂からの延伸が新計画路線として盛り込まれることに。府も新駅が新設されることを想定し、街づくりの計画を進めたのです。
一方、大阪都心の混雑は激しさを増し、市は地下鉄建設を進めました。その最中に市は1970年までに江坂までは延伸するが、江坂以北の延伸は難しいという判断を下したのです。
市は財政難ということもあり、大阪市営である以上、採算がとれない限り大阪市域外への延伸は厳しいと主張。阪急千里線が飽和状態になり、採算がとれるまで建設しない、という方針を示したのです。
府は千里ニュータウンの人口が増える中、御堂筋線延伸を目指す姿勢を堅持。さらに、1965年には千里丘陵での万博開催が決定し、世間の目も御堂筋線延伸に注目しました。
万博会場の計画案では万博会場への御堂筋線乗り入れを盛り込むことに。地元や専門家との会議では阪急千里線とバスの輸送力を増強しても大量の来場者をさばききれないという結論に至りました。
それでも、市は万博閉会後の採算性や高額な建設費を理由に、江坂以北の延伸には及び腰でした。
新会社設立で何とか解決
最終的に江坂駅までの延伸は大阪市が行い、江坂駅以北に関しては大阪府、阪急、その他民間会社の共同出資による新会社に委ねることになりました。この新会社こそが北大阪急行電鉄です。
1970年に御堂筋線新大阪~江坂間、北大阪急行電鉄江坂~千里中央・万国博中央口間が開通し、大阪万博ならびに千里ニュータウンへの足は確保されたのです。
余談ですが、北大阪急行の設立にあたっては阪急が深く関わっています。そのため、当初から北大阪急行電鉄は阪急の子会社であり、自社車両も阪急との関係を匂わせる内装となっています。